その中に彼らは「既成権力」を見、そこで守られている「明白な弱者」の中に「既得権益」を見る。そしてそれらと戦うことが彼らにとっての正義となる。
そうした状況の一因となったのは、とくに近年のリベラル派のスタンスでもあった。2000年代にはネオリベラリズム(新自由主義)の進展とデフレの長期化に伴い、格差の拡大から生み出された貧困層を守るべく、もっぱら「反格差」を掲げていたリベラル派だが、2010年代になるとむしろ差別の問題に注力し、「反差別」を強く打ち出すようになる。その主流は、いわばアイデンティティ・ポリティクス専門の「文化左翼」となるに至った。
『曖昧な弱者の時代』(伊藤昌亮、岩波書店)
一方でその後、2020年代になってインフレの時代に入ると、今度は中間層の二分化、すなわちアッパーミドル層とロウアーミドル層との分化という、新たな格差の問題が生じてくる。富裕層と貧困層との間の「明白な格差」ではなく、アッパーミドル層とロウアーミドル層との間の「曖昧な格差」という問題だ。そうしたなかでロウアーミドル層は、極端な困窮ではないものの困難な生活を強いられるという、いわば「曖昧な貧困」に苦しめられることになった。
そうした状況に、しかしもっぱら「明白な格差」を問題にしてきた「反格差リベラル」は鈍感だったし、ましてや「反差別リベラル」に至っては、そもそも経済的弱者を守るという元来の課題を忘れてしまったかのように、まるで無頓着だった。
その結果、リベラル派は、「曖昧な格差」のもとで「曖昧な貧困」に苦しめられる「曖昧な弱者」という、この時代に発生した、それも大量発生した新たな弱者の訴えに耳を傾けることをしなかった。「弱者救済」という信条を掲げてきたにもかかわらず。
そうしたことから人々はリベラル派にそっぽを向き、反感を抱くようになる。そこから醸成されていったのが「曖昧な弱者」の敵意だった。







