かつて国内右派の代表格だった生長の家は、今や自然志向のリベラル派に変貌した。その背景に親子3代の「思想転向」があったことを、谷口雅宣総裁が明かした。特集『巨大宗教 連鎖没落』(全20回)の#14で、その歴史を振り返る。(ダイヤモンド編集部特別取材班)
極右から自然志向のリベラルへ
親子3代「思想転向」の激変
「政治運動の中止」「組織運動の整備」「聖歌の作詞・作曲」──。生長の家の谷口雅宣総裁は、先代の亡父・谷口清超氏の「十三年祭」が執り行われた2021年10月、清超氏の功績として冒頭の3点を挙げた。
特に政治運動の中止に関しては、確かに生長の家を根本から変える大転換だった。
「心の法則を研究しその法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行ふ」
生長の家は、1930年創刊の個人雑誌「生長の家」巻頭に掲げられた宣言を実践する目的で設立された。この雑誌を創刊したのが、雅宣氏の祖父で生長の家創始者の谷口雅春氏である。
雅春氏は戦時中、「皇軍必勝」「大東亜開放」を掲げ、戦後も明治憲法や教育勅語の復活を主張。64年には政治団体「生長の家政治連合」を結成し、信者を国会に送り込んだ。
60年代に左翼の学生運動と対立した「生長の家学生会全国総連合」の元活動家らが右派団体「日本会議」の主要メンバーとなり、後の安倍政権を支えた。“極右”と呼ばれた宗教団体がなぜ「政治運動の中止」に踏み切ったのか。次ページで解説する。