元来、貧困と差別に苦しめられている社会的弱者を守ることを信条としてきたリベラル派にとって、「明白な弱者」とは経済的弱者としての貧困層であり、文化的弱者としてのマイノリティだった。前者に該当するのは高齢者、障害者、失業者などであり、後者に該当するのは女性、LGBTQ、外国人などだ。

 それらの人々をいわば「弱者リスト」の公認メンバーとして支援の対象とすることが、これまでのリベラル派のスタンスだった。

 しかし近年ではこの「リスト」に含まれない人たちが自らの「弱さ」を訴え、「弱者」の仲間入りをさせてもらいたいと望むようなケースが増えている。高齢者よりも現役世代、女性よりも男性、外国人よりも日本人のほうがつらいのだから、という具合だ。

 貧困層ではなく中間層、マイノリティではなくマジョリティに属し、元来はむしろ「強者リスト」のメンバーであるはずの人たちが、今日ではさまざまな痛みを抱えている。しかしそれらの弱者性は曖昧なものなので、特定の立場に集約することは難しく、そのため従来のリベラル派の視野からはこぼれ落ちてしまう。その結果、彼らは「弱者認定」されることなく、逆に「強者」として「弱者」を守る側、もしくは「弱者」を苦しめていることを諫められる側に位置付けられることになる。

 そうしたことから彼らは、「明白な弱者」に加えてリベラル派にも憤懣を抱く。「自分たちにはなぜ『弱者の特権』が与えられず、『強者の義務』ばかりが押し付けられるのか」「そのことをなぜリベラル派は勝手に決めてしまうのか」という具合だ。「誰が誰を守るのかを誰が決めるのか」という暗黙の取り決めが、そこではあらためて問われていると言えるだろう。

「オレではない弱者」ばかり助ける
権力はオレの敵でしかない

 その際、とくに厳しく問われることになるのはリベラル派の権力性という点だ。その中心となっているのが知識人やマスメディアなどの「特権階級」であることから、リベラル派は「普通の人々」の気持ちがわからず、独善的な正義感を振りかざすばかりの高慢な存在だと考えられた。