1893年、ニュージーランドは女性に国政選挙での投票権を認めた。なぜイギリスやアメリカよりも早く、帝国の周縁でこの改革が実現したのか。禁酒運動が女性たちを政治へ向かわせた経緯や、移民社会ならではの政治文化、第一次世界大戦後に欧米へ広がった流れとの違いから、その意外な歴史をひもとく。本記事は、『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者、伊藤氏にインタビューし、作成したものだ。

【大人の教養】女性参政権を世界一早く実現したのはどこ? イギリスやアメリカではありません。Photo: Adobe Stock

「酒を止めたい」女性たちが政治を動かした

 女性参政権が世界で最初に認められた国はどこか。そう聞かれて、すぐにニュージーランドを思い浮かべる人は、意外と少ないかもしれない。

 しかし、世界史の流れのなかで見ると、ニュージーランドは非常に重要な位置にある。1893年、ニュージーランドでは女性に国政選挙での投票権が認められた。世界で最も早く、女性参政権を実現した地域のひとつである。

 当時のニュージーランドは、現在のような完全な独立国というより、イギリス帝国のなかの自治領という位置づけにあった。イギリスの植民地的な枠組みのなかにありながら、独自の政府を持ち、国内の政治については一定の自律性を持っていた。そのニュージーランドが、世界に先駆けて女性参政権を認めたのである。

 では、なぜニュージーランドだったのか。女性参政権の実現を後押しした大きな力の一つが、当時盛り上がっていた禁酒運動である。19世紀のニュージーランドでは、男性の過度な飲酒が家庭の貧困や暴力を引き起こす社会問題として意識されるようになり、その改善を求める女性たちが禁酒運動に参加していった。そこには、アメリカで生まれたキリスト教系の女性禁酒団体の影響もあった。

 しかし、酒を規制する法律を実現しようとしても、選挙権を持たない女性たちは政治的な意思決定に直接関与できない。そこで、家庭や社会を守るためには、女性自身が投票権を持たなければならないという考えが広がっていった。ニュージーランドの女性参政権運動は、抽象的な男女平等の理念だけでなく、飲酒によって生じる身近な問題を政治によって解決しようとする運動から発展したのである。

禁酒運動だけではない、ニュージーランド独自の土壌

 もっとも、ニュージーランドが世界に先駆けて女性参政権を実現できた理由は、禁酒運動だけで説明できるものではない。むしろ、禁酒運動に加えて、ニュージーランド独自の政治文化や社会のあり方が、早い段階で女性参政権を受け入れる土壌をつくっていたと見るべきだろう。

 ニュージーランドは、ヨーロッパの古い身分秩序をそのまま引きずった社会ではなかった。移民によってつくられた新しい社会であり、自治領として自分たちの制度を組み立てていく余地があった。そうした環境のなかで、女性の政治参加を認めるという、当時としてはきわめて先進的な選択が可能になった。

 この事実は、現代のニュージーランド政治を考えるうえでも興味深い。たとえば、コロナ対策などで国際的にも注目されたジャシンダ・アーダーンのような女性政治家が、ニュージーランドでは非常に大きな存在感を発揮した。もちろん、19世紀の女性参政権と21世紀の女性首相を単純に一直線で結ぶことはできない。しかし、女性の政治参加を早くから認めてきた歴史的背景が、女性政治家が活躍しやすい政治文化につながっていると見ることはできる。

第一次世界大戦が「女性は貢献していない」という理屈を崩した

 一方、ヨーロッパの大国で女性参政権が大きく進展するのは、第一次世界大戦の時期である。イギリスでは1918年、第一次世界大戦が終わる直前に選挙法が改正され、一定の条件を満たす女性に投票権が認められた。戦争が、政治参加の範囲を広げる大きなきっかけになったのである。

 ここで重要なのは、女性参政権の問題が、単に「男女平等」という理念だけで進んだわけではないという点だ。前提として、ヨーロッパには古代以来、「共同体に貢献する者に政治参加の権利が与えられる」という考え方があった。古代ギリシアやローマでは、市民権や参政権と軍役が深く結びついていた。共同体を守るために戦う者だからこそ、共同体の政治に参加する資格がある、と考えられていたのである。

 この発想は、長いあいだヨーロッパの政治文化の底流に残った。だからこそ、女性に参政権がなかった理由も、当時の理屈としては「女性は戦場に行かない」「軍役を担わない」という考え方と結びついていた。しかし、第一次世界大戦はこの前提を大きく変えた。第一次世界大戦は、兵士だけが戦う戦争ではなく、国家全体が動員される総力戦だった。女性たちは工場、医療、後方支援など、さまざまな形で戦争を支えた。戦場に立たなくても、国家の存続に不可欠な役割を担ったのである。

 その結果、「女性は共同体に貢献していないから政治参加の権利を持たない」という理屈は成り立たなくなっていく。女性もまた国家に貢献したのだから、その見返りとして政治的権利を与えるべきだという考え方が強まっていった。

 実際、第一次世界大戦後には、女性参政権を認める国が相次ぐ。ドイツでは帝政が崩壊したのち、1918年に女性を含む普通選挙の方針が示され、ワイマル共和国の成立へとつながっていく。アメリカ合衆国でも1920年、女性参政権が全国的に認められる流れが生まれた。

帝国の「周縁」だからこそ新しい制度を試せた

 こうして見ると、ニュージーランドの早さは際立っている。ヨーロッパの多くの国では、第一次世界大戦という総力戦の経験を経て、ようやく女性参政権が大きく進んだ。ところがニュージーランドは、それよりも四半世紀ほど早い段階で、女性の政治参加を認めていたのである。

 それは、ニュージーランドがイギリス帝国の周縁にありながら、独自の政治的実験を行う余地を持っていたからでもある。中心から離れた場所だからこそ、新しい制度を先に試すことができた。女性参政権の歴史におけるニュージーランドの重要性は、まさにそこにある。

 世界史の教科書では、女性参政権は「第一次世界大戦後に欧米諸国で広がった」とまとめられがちである。もちろん、それは大きな流れとしては正しい。しかし、その前にニュージーランドという先駆的な例があったことを押さえると、女性参政権の歴史はより立体的に見えてくる。

 女性参政権は、単にヨーロッパの中心から広がったものではない。むしろ、帝国の周縁にあった自治領ニュージーランドが、世界に先駆けて実現した政治的な革新だった。そしてその背景には、「誰が共同体に貢献しているのか」「その貢献に対して、どのような政治的権利が認められるのか」という、古代から続く大きな問いがある。女性参政権の歴史は、政治参加の権利がどのように広がってきたのかを考えるうえで、きわめて重要なテーマなのである。