ゴッホの『ローヌ川の星月夜』のように瞬く星空は、遠い旅先だけでなく、私たちが暮らす街の頭上にも広がっています。新刊『「いまを生きる力」を取り戻す 感性の教室』から内容を一部抜粋して、日常の捉え方を根底から変えるエピソードをお届けします。
《ローヌ川の星月夜》
ニュージーランドの夜空を眺めて「発見」したこと
数年前、私がニュージーランドに半年間ほど滞在していたときのことです。
オークランドに拠点を置きつつ現地のあちこちに小旅行をするなかで、人口400人ほどの小さな町に足を延ばしました。
静かな湖を見下ろす山の頂上には天体観測所があり、星空がきれいなことで知られる場所でした。
そこで「星空観賞ツアー」に参加することにした私は、防寒着を着込んだほかのツアー参加者たちと車に乗り込み、日が沈むころから1031メートルの山へ向かいました。
人工の明かりがほとんど届かない山頂――。
夜の冷たい空気のなか天文台の近くに腰掛けて熱々のコーヒーを飲みながら、長い時間、星や月をゆったりと眺めました。
心が洗われるような貴重な体験でした。
数日後、拠点のオークランドに戻った私は、星空観賞ツアーでの感動をニュージーランド人の友人に伝えました。
すると、その友人は少し笑って言いました。
「見上げれば、どこからでも見えるよ」
ちょっと恥ずかしくなった私は、その晩、一人で外に出て、そっと空を見上げました。
ツアーで見たのとほとんど変わらない星や月がたしかに私の頭上にあり、それらはまるでゴッホの描いた《ローヌ川の星月夜》のように瞬いていました。
そして、いま私がいる東京でも、見上げれば星や月が輝いています。
もちろん、東京の夜空に見える星の数には限りがありますし、ニュージーランドのそれとは配置や顔ぶれもかなり違います。
それでも、あのツアーでいかにも貴重なもののように見たのと同じ「月」が、この街の上にも浮かんでいます。
それなのに、それまでの私は、どれだけの時間をかけて夜空を見上げていただろうかと思います。
ツアーガイドさんに「はい、見てください」と場所と時間をお膳立てしてもらわないと、いつも頭上にあるものにさえ目を向けられなくなっていたのです。
ニュージーランドでの体験は、私にそんなことを気づかせてくれました。



