それは主義? はたまた事情??「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊『暮らしの信じ方』より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫8/12公開、待ち合わせは、余裕を持って、ぎりぎり着きたい【古賀及子さん書き下ろし(2)】

仕事の締め切りは恐ろしい

 ところで、これが仕事の締め切りとなると、私はだめだ。

 ギリギリまでぜんぜん待てなくなってしまう。余裕を持ちまくってしまう。

『サザエさん』で、伊佐坂先生はいつも編集者であるノリスケを待たせている。待たせた編集者の目を盗み、勝手口から逃げ出すような回も見たことがある。

『まんが道』でも、手塚先生はいつも大勢の編集者が、先生まだですかとついて回っている。書けない、待たせる、それが書き手の印象だ。

 いっぽうの私は、常に仕事に異様に余裕がある。

 私が右のお二方に並んでいいとはまったく思えないし、私は小説家でも漫画家でもない、雑文をしたためるエッセイストであるから、作品の難度がそもそも違うというのはそうだけれども、なにしろ遅れるのが恐ろしくって、締め切りの数日前には原稿がすっかりできあがっていることがほとんどだ。

原稿は、手の上でびちびち跳ねる魚みたいに

 それならば、待ち合わせと同様、早めに余裕を持って書き上げて調整して磨き上げ、ぎりぎりに提出することもできるのではないかと、自分でも思う。

 けれど、書き上がると不思議と持っていられないのだった。

 原稿は、手の上でびちびち跳ねる魚みたいに、熱々の焼き芋みたいに暴れるようで、いてもたってもいられず、編集者さんに放るように送ってしまう。

 昨日出した原稿は、締め切りまでまだあと一週間ある原稿だった。一晩だけ寝かせて見直したあと、もう持っていられない! と、送ってしまった。

 今日出した原稿も、締め切りは三日後で、でも待てずに送った。

書きながらにして書けていく

 原稿自体が、はかなく信用ならないように思える。存在が確からしいうちに送らなければ、消失する気がする。

 原稿用紙にペンで書いているわけではもちろんなく、PCで書いた原稿は書きながらにしてクラウドに自動保存するように設定してあって、なのに消えてなくなるんじゃないかといつも思っている。

 早く見てもらって、私だけじゃない、編集者さんと共有して原稿が現実であると確かめないと恐ろしい。

 これは物を書く多くの方が言うことだけど、文は頭で考えていることを書くというより、書きながらにして書けていく。過去書いたものを読んだとき、こんなことよく書けたなと、いい意味でも悪い意味でも感心するのはそのせいだ。

 だから幻のようで、本当にあるのかずっと不安なんだと思う。

 暮らしを信じることも、それに似ている。いま、あらためて一つひとつ、手で触るようにたしかめた。納得を自分自身に共有することで、暮らしへの理解が明らかになり、いっそう、自信と、それに愛しいすこしの不安がわいた。たった今の、暮らしの信心による私の興奮の、これはすべてだ。

(おわり)