それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

前回≫7/30公開、「えっ、これが正解?」美容院でどう振る舞うか、いまだに迷ってしまう理由【古賀及子さん書き下ろし(1)】

自意識過剰という言葉が、まだばりばり悪口だったころに育った

 とりあえずコーヒーを飲む。あっ、おいしい。コーヒーの素人にもわかるコクと苦味。

 さては、安いコーヒーではない。

 確信した。このふたりは、お茶とお菓子が好きな美容師さんたちだ。

 それにしても、どうしよう。しれっと手に取って、しれっと食べるべきか。というか、それでぜんぜん問題ない。食べさせようとして出してくれたんだから、臆さず食べていいはずだろう。

 私は昭和五十四年生まれ、自意識過剰という言葉が、まだばりばり悪口だったころに育った。

 今のように、自意識は過剰で当たり前、その先に承認欲求という新たな自意識のテーマが立ちはだかるなど、夢にも思わない時分に青春時代をやりすごした世代だ。

 それだけに、「恥ずかしくてお菓子が食べられない」「誰かが私を見ているような気がする」なんてことは、いかにも自意識過剰的なおこがましい感覚であって、そんなことはない、誰も自分になどは興味がなく、見られているなどとは思っておりませんと、他者からの視線を否定し尽くして生きてきたじゃないか。

 なのに、なぜだろう、こんなにもお菓子が手に取りづらい。

持って帰るのはどうか

 もしかすると、濡れた髪の毛を乾かしてもらう、白いケープでてるてる坊主になった見慣れない自分と鏡を通じて対峙しているからだろうか。

 すでにやや間が抜けた状態でいるところ、このうえおいしいお菓子をうまうまと食べるなど、つまりちょっと、ばかみたいだ。

 結局、自意識の話でしかなく、髪は順調に乾いていく。

 持って帰るのはどうか。

 ぎりぎりの攻防のなか、ひらめいた。ここで食べるのは気恥ずかしい。けれど名品、シガールを食べずに置いて帰るなど、そんな富豪のような余裕は私にはない。絶対に食べたい。

 持って帰るしか、ない。

 結果的に、ここで食べる、置いて帰る、その二択以上に、人によっては恥ずかしいと感じるだろう「持ち帰り」の選択肢が、けれどそのときの私には輝いて見えた。

 そうして、本当に持って帰ったんである。

「ちょっといま食べられなくって、でも私、シガール大好きなんです! 持って帰ってもいいですか!」と、帰りがけに、思い切ってお願いした。

 美容師さんは、ぜひぜひ! と言ってくれた。
 おいしいですよね。私たちも大好きなんです。もうひとりの美容師さんも、わざわざ向こうから「おいしいですよね!」と声をかけてくれる。

 シガールおいしいねの輪が立ち上がり、私はかばんにそれはありがたく納めたのだ。

持ち帰る主義としての輪郭

 それからも、お菓子の出てくる美容院に何度か当たった。お菓子を出すお店が、ちょっと増えている気がする。

 そうして相変わらず、不思議とこれが、食べられない。どうにも、いつもタイミングをつかみかねる。

 それと同時に、「持って帰っていいですか!」とお願いすることにはむしろ慣れて、逡巡なく元気いっぱい遠慮なく言えるようになっていった。

 出されたお菓子は持ち帰る主義としての、自分の輪郭が徐々に濃くなっていく。