毛沢東の紅軍は、敵の国民党軍よりも絶対的な兵数が劣っていた。ゆえに、敵軍を少数部隊にバラけさせてこちらに有利な場所に深く誘い込み、そこで自軍の兵力を集中させて叩くことで、個々の戦場における相対的な兵数優位を確保して戦う戦法が取られた。これも『孫子』の「虚実篇」に登場する「能く寡を以て衆を撃つ者」の記述と酷似している。
次の鄧小平の時代に、まだ国力が低かった中国が採用した韜光養晦(対外的な積極策に出ずに力を蓄えて機を待つ外交戦略)や、近年の尖閣諸島近海や南シナ海で中国の公船がおこなっているサラミスライス戦術(離島の周辺海域に少しずつ進出して既成事実を積み重ねる手法)も、『孫子』の影響が否定できない。相手と自分の実力差を正確に認識したり、自己の実力を隠したり、相手の無防備な場所を狙って攻めたりするのは、孫子の兵法における基本中の基本だからだ。
軍隊以外の国家機関でも
提唱されている孫子の兵法
現代中国で面白いのは、軍隊以外の国家機関でも孫子の兵法が提唱されていることだ。
なかでも多いのが公安部門である(なお、日本語の「公安」はインテリジェンス部門だけを指すが、中国の場合は刑事や交通なども含めた警察全体が「公安」と呼ばれる)。
中国の論文検索サイトで「孫子兵法 公安」とサーチすると、警察関係者の論文を中心に50件あまりが引っかかる。ざっと眺めると、たとえば当局の国民管理が脆弱だった胡錦濤政権時代の末期は、群体性事件(庶民によるデモや暴動)が年間で数十万件も起きていた時期であるためか、国内治安維持に『孫子』を活用しようという提言が目立つ。
たとえば2013年12月の辛昊という人物の論文だ。
こちらでは「群体性事件の処理はむやみな力押しを避け、法的正当性や道義・力・心理などの各面で抗議者よりも優勢になることで相手の戦意をくじけ」といった群衆鎮圧術が、『孫子』の「謀攻篇」や「虚実篇」の記述に基づいて論じられている。同テーマの他の論文も、抗議者たちと戦わずに勝て、事前に勝てる体制をつくり現場の主導権を握れ、といった論調で孫子の兵法の活用を提案するものが多い。







