いまや右も左も「資本主義」を批判し、経済格差の拡大や社会の分断など、不愉快な現実の責任をすべて負わせるのが一種の流行になっている。
2000年代は左派(レフト)が熱心にWTO(世界貿易機関)のグローバリズムを批判していたが、2016年にはトランプが「グローバリズムが白人労働者階級を貧困化させた」と主張して大統領の座についた。そして2025年には、若干34歳のゾーラン・マムダニが「強欲資本主義」を批判し、左派的な政策を掲げてニューヨーク市長に当選した。
そしていま、急進左派のバーニー・サンダーズがオープンAIなどAI大手に自社株の50%を物納させる提案をすると、トランプが「(同じことを)1年前から議論してきた」とSNSに投稿している。
しかし、誰もが同じことをいい、なおかつその問題が解決できないとしたら、そこには相応の理由があるのではないだろうか。
【参考記事】
●左派(リベラル)と右派(保守派)は政治イデオロギーで対立しているが、昨今の欧米ではその主張はとてもよく似ている
そんななか、すっかり不人気になった「資本主義」を擁護するのがカナダの哲学者ジョセフ・ヒースの『資本主義にとって倫理とは何か』(庭田よう子訳/瀧澤弘和解説/慶應義塾大学出版会)だ。ヒースはこの本で、「市場経済は最悪である――それ以外を除いては」として、わたしたちには市場経済以外の選択肢はなく、よりよい社会・よりよい未来を目指すのなら、急進的な改革ではなく(たいていはもっとヒドいことになる)、いまよりすこしでも「倫理的な資本主義」に変えていくしかないと論じている。原題は“Ethics for Capitalists; A Systematic Approach to Business Ethics, Competition, and Market Failure(資本主義者のための倫理学 ビジネス倫理、競争、市場の失敗への体系的アプローチ)”。
ここではそのなかから、もっとも嫌われ、擁護するのが難しそうな「株主第一主義」について見てみたい(同様の議論はヒースの『資本主義が嫌いな人のための経済学〔新版〕』〈栗原百代/ハヤカワ文庫NF〉)にもある)。
Photo: builderB / PIXTA(ピクスタ)
なにひとつよいことがないように見える株主による所有をやめるべきなのだろうか
資本主義の最大の欠陥は、株式会社の(法的な)所有者である株主=資本家が私的な利益のみを追求し、公益を無視することだとされる。その結果、公害や二酸化炭素排出などのさまざまな「負の外部性」を生み出し、環境を破壊するばかりか、労働者(とりわけグローバルサウスの貧しい労働者)を搾取している。
こうした批判には説得力があるが、興味深いのは、企業の経営者もまた「株主第一主義」にうんざりしていることだ。現代の企業では「所有と経営の分離」が進んでいるため、株主の「強欲」にもっとも振り回されるのは企業の経営陣なのだ。
だとしたら、なにひとつよいことがない(ように見える)株主による所有(すなわち資本主義)をやめるべきなのだろうか。
ここでヒースは、法的には会社はどのような形態をとることも認められており、株式会社を強制されているわけではないことに注意を促す。
法人というのは「法的な人格」のことで、財産を所有し、それ自身の名において契約関係を結ぶことができる。なぜこのような経済主体がつくられたかというと、個人と個人がすべての経済活動を市場で行なう(売り手と買い手が、その都度、市場を通して契約し、取引する)よりも、多数の契約を会社という管理構造にまとめたほうが効率的に分業できるからだ。
しかしそうなると、会社という容器(契約の束)を最終的に誰が所有しているかを決めなくてはならない。そうでなければ、法人の経済行為に責任を負う者がいなくなり、ガバナンス(統治)が崩壊してしまう。
事業法人(企業)には大きく4種類の利害関係者がいる。それがサプライヤー、消費者、労働者、投資家だ。
会社を容器と考えるなら、「サプライヤー」から原材料などのインプットを受け取り、それを加工して付加価値を創出して、モノやサービスなどのアウトプットを「消費者」に販売している。この付加価値創出活動には、「労働」と「資本」という2つの要素が必要になる。
企業が経済活動を行なうためには、この4つの要素がすべて必要になる。原材料のインプットがなければ製品はつくれないし、消費者がいなければアウトプットが無駄になってしまう。労働者がいないと原材料は工場に無駄に積み上げられるだけで、投資家がいなければその工場を建設できない。この4者(サプライヤー、消費者、労働者、投資家)が会社の主要なステークホルダー(利害関係者)だ。
もうひとつ重要なのは、法人の所有権は「なんでもできる権利」ではないことだ。株主は「有限責任」という特権を享受しているものの、実際のところ、取締役を選任する権利と、企業の収益に対する残余請求権しか与えられていない。残余請求権は、契約上のすべての義務が果たされたあとに残ったものを分配される権利なので、原材料費の支払いを無視するとか、労働者に賃金を払わないようにして自らの利益を「最大化」することはできない。株主の所有権とは、「おこぼれをもらう」権利にすぎないのだ。
株式会社とは「資本家協同組合」のこと
市場経済には法人の所有者についてのルールはないので、それがうまく機能するのであれば、投資家=資本家以外のステークホルダーが企業を所有してもかまわない。実際、サプライヤー、消費者、労働者によって所有される形態の法人がどこでも見つかる。
サプライヤー(供給者)による所有の典型が農業協同組合で、日本ではコメ農家が主体の総合農協のほか、養鶏農協、酪農農協、果樹農協などの専門農協も農家である組合員に所有されている。
サプライヤーが所有する供給協同組合は、農家から割引価格で農産物を購入し、それを市場価格で販売して利益を得て、その利益を組合員に分配している。
労働者協同組合の場合も、組合員が提供するのが労働になるだけで、その仕組みは供給協同組合と変わらない。協同組合の労働者は一般に市場相場を下回る賃金で働くが、それによって得た利益を、組合は賞与として労働者(組合員)に分配する。その典型が弁護士法人で、所属する弁護士(組合員)は最低時給以下で長時間労働をしているかもしれないが、その労働から法人が得た利益の分配を受けることができる。
生活協同組合は消費者によって所有される消費者協同組合だが、原理的にはやはり同じだ。消費者は市場相場を上回る価格で商品を購入するが、それによって法人が得た利益が返戻金として分配される。生協がスーパーなどよりも安い価格で商品を販売できるとすれば、広告費などを節約してコストを下げる努力をしているからだ。
このように考えれば、株式会社とは「資本家協同組合」のことだとわかる。投資家=資本家は企業が金融機関から借り入れをするよりも割安な条件で資金を提供し、そこから得た利益の分配を受け取る。株式会社は特別な存在ではなく、農協や生協と同じ法人の所有形態(協同組合)のひとつにすぎないのだ。
重要なのは、いずれの形態であっても、法人は複数のステークホルダーのうち、所有者の利益を優先しなければならないことだ。供給協同組合(たとえば農協)が農家よりも消費者の利益を重視したり、逆に消費者協同組合(たとえば生協)が消費者よりも供給者(たとえば農家)の利益に配慮すれば、重大な違反と見なされるだろう。
同様に株式会社も、他のステークホルダーよりも所有者である株主の利益を最大化しようとするが、ここにはなんら不正なことはない。所有者であるかどうかにかかわらず、すべてのステークホルダーを平等に扱うような事業法人は原理的に存在しない。共通するのは、所有者が法人に対する民主的なコントロール権を有すること(所有者制民主主義)と、利益の残余請求権を得るという一般原則だ。
しかしそうなると、ほとんどの法人(企業)が資本家協同組合になるのはなぜだろうか。ここで左派(マルクス主義者)は「それこそが資本家の陰謀だ」と大声をあげるだろうが、これは「陰謀論」でなくてもすっきり説明できる。資本家以外の所有形態はあまりうまくいかないのだ。







