家計が苦しい家庭から、「2年間なら」と送り出された学生が多く通ってきたという。このため、修学支援新制度の支援を受けていた学生は3割程度もいた。そんななか、文科省が24年度に強化した定員割れに対するペナルティーに引っかかってしまう。ほかの30短大とともに24年夏、文科省のサイトで制度の対象外となったことが発表された。

 学長は、25年度に入学者が激減したのは、この発表の影響が大きかったとみていた。「地域の自治体や企業などと連携し、地域のニーズをふまえて教育改革も進めてきた。だが、そうした教育内容は見向きもされず、定員充足率だけで線引きされてしまった。国は、もう短大の役割は終わったとみなしているのだろうか」と憤る。

女性の短大入学者数は
96年に大学に逆転された

「日本航空の鳥取三津子社長など短大出身者の活躍が目立ってきたのに、多くの学校が撤退していくのが悔しい」

 25年1月に取材した際、日本私立短期大学協会(私短協)の麻生隆史会長(山口短大理事長・学長)は語気を強めて言った。

 私短協が把握しているだけで、25年度から学生募集を停止した短大は23校にのぼる。26年度から停止した短大も22校。27年度から停止を表明している12校と合わせて57校となり、全体(24年度=282校)の20%に達する(26年5月7日現在)。

 学校基本調査によると、短大は1995年まで、女性に限れば大学よりも入学者数が多かった。また、多くの卒業生が保育士や栄養士などの資格を取得し、地元で就職する割合も大学より高い特徴があると私短協はアピールしている。一方、多くの論文が、かつては短大を卒業した女性には社内結婚を前提に、企業で補助的な仕事をする一般職に就くケースも多かったと分析している。

 女性の短大進学率は93年がピークだった。企業がバブル崩壊後の不況でコスト削減を迫られ、一般職の採用を減らし始める時期と重なる。その後、大学や共学校を目指す女性が増え、96年には大学に入学者数で逆転された。差は今も開き続けている。

 短大の数は、ピークだった96年の598校から、2006年は468校に減った。10年間で130校も減ったのは、受験生のニーズをふまえて大学に改組したケースが多かったためだ。