会社を辞め、家を売り、無線機も持たずに航海に出た夫婦。自作した船でイギリスからニュージーランドに向かったが、ガラパゴス沖で突如クジラに襲撃され海に投げ出された。事実は小説より奇なり。118日間、生死をさまよう最上級のスリルと人生模様を堪能できる全米ベストセラー『極限の漂流118日間』から、「絶望の淵を味わった人間が“人生で最高の味”と感じた食事」についてライターの小川晶子氏が特別レポートする。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

【人生で最高の味】泣きたくなるほど美味しい食事とは?Photo: Adobe Stock

異国の料理名にときめく

昔から、食べ物の描写が美味しそうな作品を読むのが好きだ。
子どもの頃は、海外の作品に出てくる「食べたことのない料理」にあこがれた。
たとえば、ターキーサンドイッチ、プディング。
コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズは、もちろん食べ物が話題の中心ではないが、さらりと出てくるイギリスっぽい料理名に心惹かれた。

極限状態で書き記すメニュー

イギリス人夫婦が、たった二人で118日間も漂流し極限状態で生き延びたというノンフィクション『極限の漂流118日間』(ソフィー・エルムハースト著/村井章子訳)の中にも、イギリスらしいおしゃれなメニューが出てくる。

妻であるマラリンが、大海原に漂う救命ラフトの上で細かく書き記しているのだ。

六人のディナー、ワイン四本(白二、赤二)
フルーツとマンダリン・カクテル
ガモンステーキ、パイナップル、ローストポテト、豆とスイートコーン添え。山盛りのポテトとコールスローサラダ、マッシュルーム
チェリーのフラン、アップルパイ、生クリーム添え
食後にチーズとクリームクラッカーまたはチーズ盛り合わせ
コーヒー、リキュール
──『極限の漂流118日間』より

素敵なディナーの食卓が思い浮かぶ。マラリンはこのようなメニューをたくさん書いた。
だが、これらのメニューをこれでもかと紹介した後に書かれていた一文を読むとぞっとする。

「飢えで死が近づいてくると、人間は食べ物のことしか考えられなくなるという」。

そう、マラリンのいる救命ラフトには食材がもうほとんど残っていない。
夫婦ふたりともガリガリに痩せてしまっている。
運良く通りかかった船に見つけてもらい、救い出してもらわなければ死を待つしかないという状況なのだ。

これまで味わった中で最高のもの

はたして夫妻は奇跡的に救出された。
韓国に本社があるマグロ漁船ウォルミ号が、やせ衰えた二人を引き上げたのである。
救助後、毛布にくるまった状態でマラリンは「これまで味わった中で最高の」ものを口にする。
「熱々のミルク」である。
粉末の缶詰を溶いたものらしい。ミルクを受け取ったマラリンは、立ち上る湯気とミルクのほの甘い香りの中、涙が止まらなくなった。

それにしてもなんとおいしいミルクだろう。ふたりがこれまで味わった中で最高だった。熱々で、濃厚で、甘い。生まれたての赤ちゃんと同じで、最初に必要なのはミルクだとふたりの身体は知っているみたいだった。ふたりはコップ一杯のミルクを一息で飲み干してしまった。
――『極限の漂流118日間』より

あまりにも美味しそうなミルクの描写にぐっときて、私は泣きそうになってしまった。
愛と希望のノンフィクション『極限の漂流118日間』は、ぜひ食事にも注目しながら読んでもらいたい。