私は直属の上司の課長に事態を報告した上で、A国大使館のある地域を管轄する警察署員らと現地で落ち合う手はずを整え、大使館に急行した。

 その男は、薄暗い部屋の片隅で、外来者用の椅子に座っていた。40代から50代、黒っぽいスーツを着たビジネスマン風の中東系の男だった。

 男は中東某国が発給した公用旅券を所持していた。身分は外交官ではなく、国軍の大佐だった。政府の公用で入国した高位の軍人とわかり、これはただごとではないと私たちは感じた。

 大佐の国ではこの年の夏から、激しい弾圧の嵐が吹き荒れていた。

 数百人が命を落としたクーデター未遂事件があり、政府は鎮圧後、クーデターの首謀者たちが師と仰ぐA国在住の宗教指導者バラン師(仮名)が事件の背後にいると断定して、バラン師の支持者の一掃に乗り出していた。

 亡命を図った大佐も、バラン師の支持者であることは容易に察しがついた。

所轄署の取調室で男は
諜報関係者だと明かした

 その警察署には、公安の捜査員が使う目立たない取調室があった。刑事課や少年係の取調室には看板があるが、公安の取調室に看板はなく、廊下に掲げられた案内図にも「公安」の二文字はない。それだけ公安の捜査は秘匿性が重んじられるのだ。

 私はこの取調室に大佐の身柄を移して、事情聴取を開始した。

「私は駐在武官の経験があり、軍でインテリジェンス(諜報)関係の仕事をしてきました」

 大佐は少しずつ語り始めた。

「各国の大使館に派遣されている駐在武官からの報告を読む立場でした。日本からの報告にも目を通していました」

 やはりな、と私は思った。駐在武官として国外の大使館に赴任した経験がある高位の軍人ということは、諜報関係のセクションにいる人間だろうと推測していた。

「私もいわゆるインテリジェンス関係の職務に携わる者です。海外の大使館に赴任した経験もあります」と私は自己紹介した。

「あなたが今、極めて危険な立場にあることは私もよく理解しているつもりです。だから正直に事情を話してほしい。あなたにとって不利なことを、あなたの国の大使館に言うつもりはありません。それは約束します」