良いことがたくさんあったのに、一つの嫌なことで台無しになった気がする――その感覚は思い込みではない。哲学者は、快楽と苦痛の間には根本的な非対称性があると示している。書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに解説する。

昔はよかった

なぜ嫌なことだけが、長く記憶に残るのか

今日一日を振り返ったとき、良かったことより悪かったことの方が、鮮明に思い出せる――
そんな経験は誰にでもあるだろう。
10人に褒められても、1人に批判されると、その批判だけが頭に残る。
仕事がうまくいった週でも、一度のミスで「最悪な週だった」と感じてしまう。

これは性格の問題でも、ネガティブ思考の問題でもない。
快楽と苦痛は、それ自体として存在するのではなく、人間の思考と深く関係しているとされている。
大きな楽しみはあまり感じない一方、小さな苦痛は常に意識され、長く記憶に残る――
この非対称性が、人間の感受性の根本にある。

一の苦痛は、十の快楽と同じ力を持つ

ショーペンハウアーが示した法則は明快だ。
一の苦痛は、十の快楽と同じ力を持つ。
言い換えれば、悪いことの影響力は、良いことの10倍の重さを持って体験されるということだ。

このことは、人生における満足の感じ方を根本から変える視点を示している。
良いことを積み上げることで幸福に近づこうとする発想は、
この非対称性を無視している。
10の喜びを集めても、1の苦痛がそれをすべて覆い隠してしまうなら、
喜びを増やすことよりも、苦痛を減らすことの方が、
はるかに効率的な幸福への道になる。

物事が順調なときほど、人はそれを当たり前と思う

快楽と苦痛の非対称性は、もう一つの現象も引き起こす。
物事が万事順調に進んでいても、どこかで一つつまずくと、
そこにばかり神経が向き、うまくいっていることをすべて忘れてしまう。

健康なとき、人は健康であることに気づかない。
人間関係がうまくいっているとき、人はそれを当たり前として受け取る。
しかしひとつの問題が起きた瞬間、それが意識の全体を占領してしまう。
こうして人は、苦痛には敏感だが、快楽については当たり前のこととして無視しているのだ。
これが、「嫌なことだけ記憶に残る」という現象の正体だ。

頭のいい人がこの法則から引き出す、二つの行動原則

この非対称性を理解している人は、人生の設計において二つの原則を持つようになる。

一つ目は、「快楽を積み上げるより、苦痛を減らすことを優先する」という原則だ。
十の幸福を追い求めるより、一つの苦痛を避けることの方が、
安定した満足感に近づきやすいとされている。
楽しいことを増やすことに精力を注ぐより、
自分にとって何が苦痛の原因になっているかを特定して、
それを一つずつ取り除いていくことの方が、
長期的な充実感をつくりやすい。

二つ目は、「今うまくいっていることに意識を向ける」という原則だ。
苦痛には自動的に意識が向くが、快楽は意識的に注目しなければ見えなくなる。
今この瞬間に苦痛がないなら、それ自体がこの世で最も大きな幸福だとされている。
健康であること、誰かと話せること、食事ができること――
それらを「当たり前」ではなく「すでに手にしている幸福」として意識し直すことが、
苦痛の影響を相対的に小さくする力を持つ。

「昔はよかった」と感じるとき、何が起きているか

過去を振り返って、今を不幸だと感じてしまうことがある。
楽しく過ごしていたときは何も感じなかったのに、
何か問題が起きて初めて「昔に戻りたい」と思うようになる。

これもまた、快楽と苦痛の非対称性が生み出す現象だ。
過去の良い時間は、その当時は「当たり前」として流れ、強く感じられなかった。
しかし今の苦痛と対比されることで、過去が輝かしく記憶される。
「昔はよかった」という感覚は、過去が特別に良かったのではなく、
今の苦痛が強く意識されているからこそ生まれることが多い。
このことを知っているだけで、過去への後悔に引きずられる時間を減らすことができる。

今日から試すなら、嫌なことが起きたとき、今この瞬間にうまくいっていることを三つだけ思い浮かべてみることだけでいい。