「野球害毒論」は東京朝日新聞社、「中等学校野球」の開催を言い出したのは大阪朝日新聞社だが、経営は実質的に同一であり、「朝日」が突如、手のひら返しをしたという印象はぬぐえなかった。これは日本野球史上の「謎」の1つとされる。

朝日新聞は「野球を善導する」
という理屈を持ち出した

 批評家・編集者・メディアディレクターの中野慧は『文化系のための野球入門』(光文社新書)で、この手のひら返しについて「そこにはアクロバティックな論理が必要とされるが、そこで持ち出されたのは『善導』ともいうべきものだった」と書いている。

『日本高等学校野球連盟70年史』では「大阪朝日」が「中等学校野球大会」を始めた経緯について、ほぼ同じタイミングで、三高野球部主将の小西作太郎(のち朝日新聞常務)、京都大学の中沢良夫(三高三塁手、のち第二代日本高野連会長)の2者から朝日に「野球大会開催」の提言があった。同時期に、箕面有馬電気軌道(のち阪急電鉄)が豊中付近の沿線開発の提案(=球場の建設)を「大阪朝日」社会課長の長谷川如是閑(文筆家、のち文化勲章)らに提案していた。そうした提案を受けて、朝日新聞社主の村山龍平は「中等学校野球大会」開催を決断したと言う。

『高野連』高野連』(広尾 晃、新潮社)

 しかし、「害毒論」から「野球大会主催」へと手のひら返しをするためには「理屈」が必要だ。『全国高等学校野球選手権大会50年史』では当時を知る朝日新聞記者が「社内では当時、野球害毒論をキャンペーンした後だけに、野球については相当の議論があった。にもかかわらず大会を開催した第一の原因は(中略)逆に『野球によって青少年を正しく、たくましく育てる』という、いまなお生き続ける大会精神を打ち出した英断があったからこそだ」としている。

 こういう形で「放置すれば害毒になる野球を、朝日新聞が善導する」と言う理屈が出来上がったわけだ。この朝日新聞による上から目線の「善導」こそが、今に至る「高校野球」の基本的なスタンスになっていると言える。またこのときに「教育の一環」という、今に至るも使われ続ける高校野球の「常套句」も生まれた。