高校野球の試合が行われる阪神甲子園球場写真はイメージです Photo:PIXTA

現在、夏の甲子園こと「全国高等学校野球選手権大会」を主催している朝日新聞社。だが、その前身にあたる「全国中等学校優勝野球大会」が始まったのは1915年のこと。そのわずか4年前、東京朝日新聞は「野球害毒論」を掲げ、野球を批判する論陣を張っていた。なぜ朝日新聞は、野球を「害毒」とまで批判した4年後に、みずから野球大会を主催することになったのか。その「手のひら返し」の裏側をたどると、朝日新聞が掲げた意外な理屈が見えてくる。※本稿は、スポーツライターの広尾 晃『高野連』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

早慶戦から東京六大学へ
野球人気が過熱していく

 日本高野連が生まれるまでの「前史」について、駆け足で見ていこう。

 日本に野球がもたらされたのは、公式には1872(明治5)年。アメリカの「お雇い外国人」ホーレス・ウィルソンが東京の開成学校の生徒に野球の手ほどきをしたのが始まりだとされる。開成学校は1877年に東京医学校と合併して東京大学になっている。

 日本野球は、トップクラスのエリート層から始まった。アメリカの野球が東海岸のブルーカラーによって広まったのとは対照的だ。日本野球が今も「学歴」「学閥」に強いこだわりを持つのは、このあたりに淵源があると考えられる。

 そうした経緯から、当初、日本最強チームは開成学校の流れをくむ第一高等学校だった。日本の最高学府、東京帝大につながるエリート高だ。明治後期、第一高等学校は、他の学校の挑戦をはね返し「一高時代」を現出させた。

 しかし1904年6月1日、この一高に早稲田大学が初めて土をつけた。さらに翌日には慶應義塾大学も一高を破る。以後、この2つの私立大学が雌雄を争う「早慶時代」へと時代は移っていく。

 早慶両校の対戦は、大きな注目を集めることとなったが、1906年、両校応援団が互いに相手大学に出かけて示威行動を起こすに及び、両校幹部は早慶の対戦を中止した。