お子さんと美術館に行かれる人も多いのではないでしょうか。本記事では、『「いまを生きる力」を取り戻す 感性の教室』の著者・末永幸歩氏に、子どもの感性を伸ばす大人の行動についてお話しいただきました。
末永幸歩氏
子どもと美術館に行ってみる
――週末などで、お子さんと一緒に美術館に行かれる親御さんも多いかと思います。末永さんは、子どもを美術館に連れて行く意義をどう考えていますか?
末永幸歩氏(以下、末永): 私はワークショップやプライベートでも、よく子どもと一緒に美術館に行きます。美術作品をみていると、子どもが突拍子のないことを言うのです。
大人はどうしても、長年の知識や社会のルールという「同じものの見方」に縛られてしまいがちです。
そこに、まったく異なるフィルターを持つ子どもが入ってくることで、多様で面白いアウトプットが引き出されます。
――具体的に、子どもたちの視点に驚かされたエピソードはありますか?
末永: たとえば、クロード・モネの《ルーアン大聖堂》を大人も子どもも交えて鑑賞したときのことです。
大人は「建物の絵かな」という前提で見てしまいますが、ある子どもは、そのぼやけた赤い色彩を見て「溶岩が流れてきているところだ!」と言いました。
聞くと、作品の赤っぽい部分が熱い溶岩、茶色っぽいところが冷めて固まった部分だということです。
その発想自体がユニークですが、私が注目したのは、その《ルーアン大聖堂》と《美しき絵ガラスの聖母》の画像があると、内容が腑に落ちるのではないかと思いました。
また、13世紀のシャルトル大聖堂のステンドグラス《美しき絵ガラスの聖母》を見たときにも似たようなことが起こりました。
大人は当然のこと、壁の窓ガラスとして垂直方向で見るのですが、子どもは「たくさんの部屋がある」と言いました。
まるで、いくつかの小さな部屋に仕切られたおもちゃの家を真上から覗き込んで見ているような視点です
先回りして「正解」を教えてはいけない
――溶岩にアパート! 大人の脳では、どれだけ頭を捻っても出てこないクリエイティブな見立てですね。
末永: そうなんです。子どもは作品を垂直な壁に掛けた状態でではなく、作品を足元に水平に敷いたような見方で捉えていることが多いです。
これは、作品に描かれた情景を「これは塔だ」「いや、教会かもしれない」「家のように見える」などとアウトプットするのとは根本的に違っていて、作品を捉える「物理的な視点」が異なるわけです。
だからこそ、子どもが突拍子もない意見を言ったときに、大人が「違うよ、これは大聖堂という建物だよ」「これはマリア様だよ」と先回りして正解を教えてはいけないんです。
――ついつい「お勉強」として教えてしまいがちです。
末永: 子どもは生まれながらにして「感性の扉」が開いています。
彼らは「見なさい」と強要されなくても、すでに凄まじい見る力と想像力を持っています。
大人がすべきなのは、子どもに大人向けの「視点を開くコツ」を教え込むことではなく、彼らの自由な意見をただ面白がり、その隣にそっと寄り添うことです。
子どもの新鮮なまなざしを通して、大人の側の錆びついた感性もまた、学び直され、開かれていくのです。






