「最近の若者はみんな同じ」「アイドルの顔が見分けられない」。そう感じるのは、年齢のせいではないかもしれません。人は「わかった」と思った瞬間、それ以上、目の前のものを見なくなるからです。本記事では、書籍『言語化だけじゃ伝わんない ―― 絵を描くように「考える・伝える」技術』の中からビジネスパーソンにも役立つノウハウとして紹介する。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

「全部同じ」にすると、話すのはラクになる
自分の考えを言葉で説明しようとして、「なんか違うんだよな」と感じることがあります。
頭の中にある感覚を、うまく言葉にできない。
説明してみても、何かが抜け落ちている。
だから、さらに説明しようとする。
でも、やっぱり完全には言い表せない。
これはある意味、当然です。
言葉は、目の前にあるものをそのまま再現する道具ではないからです。
この説明しきれない感覚を、どう処理するか。
うまくごまかすことができれば、私たちはペラペラと語ることができます。
言葉は、「似たようなものをぐるっと囲んでラベルを貼ったもの」です。
多少のちがいを気にせず、すべて同じ箱に入れてしまえば、ペラペラと話せるようになれます。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
ここには、言葉の便利さと危うさが同居しています。
たとえば、目の前に10人の人がいる。
10人とも顔が違う。性格も違う。仕事も違う。育ってきた環境も違う。
しかし、「会社員」とラベルを貼れば、10人を一気にまとめられます。
「若者」と言えば、さらに多くの人をまとめられる。
「日本人」なら1億人以上をひとつの言葉で指すことだってできます。
これが言葉のすごいところです。
一人ひとりの違いを説明していたら、とても会話になりません。
細かい違いをいったん無視するから、私たちは世界についてペラペラと話すことができるのです。
「貧しい」にも、まったく違う現実がある
ただし、同じラベルが貼られているからといって、中身まで同じとは限りません。
たとえば「貧困」という言葉です。
これは、「貧困」という言葉ですべてを似たものとして、ひとまとめにしてしまうからです。
でも、貧しさにはいろいろあります。
今日食べるものもない。水もない。家もない。本当に何もない「絶対的貧困」。
小さいけど家はある。日本のふつうの暮らしに比べると貧しい「相対的貧困」。
去年より物価が上がって、以前の生活を維持できないときに感じる貧困。
税金の使われ方が変わって、生活の不便さを味わったときに感じる貧困。
さらに細かく見ていけば、もっとちがいはあります。
それを同じものとして見るか、ちがうものとして見るかによって、とれる対策は変わってきます。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
「貧困」とひとことで言っても、その中身はバラバラです。
今日食べるものがない人と、物価高によって以前より生活水準を下げざるを得ない人では、置かれている状況が違います。当然、必要な対策も違います。
ところが、「貧困」というひとつの言葉にまとめた瞬間、その違いが見えにくくなる。
ここに言葉の落とし穴があります。言葉は、違うものを同じに見せる力を持っているのです。
頭のいい人ほど、もう一度見る
もちろん、ものごとをまとめること自体が悪いわけではありません。
むしろ、私たちが考えるためには必要なことです。
「少子化」という言葉がなければ、出生数の減少に関係する膨大な現象を毎回ゼロから説明しなければいけません。
「エネルギー問題」という言葉がなければ、石油、天然ガス、原子力、再生可能エネルギー、電力価格、安全保障などについて、ひとつずつ説明することになります。
そんなことをしていたら話が進みません。
だから、いったんまとめる。
ただし、そこで終わらないことが大切です。
「貧困」とまとめたあと、「具体的に、どんな貧困なのだろう?」と、もう一度見る。
「若者」とまとめたあと、「具体的に、どんな人たちなのだろう?」と見る。
「最近のアイドル」とまとめたあと、「実際には、どんな人がいるんだろう?」と見てみる。
この「もう一度見る」が重要なのです。
「最近のアイドルは同じ」は、アイドルの問題ではない
ここで、冒頭の話に戻りましょう。
「最近のアイドルはみんな同じに見える」
年齢を重ねると、こんな言葉を口にする人がいます。
でも、本当に最近のアイドルは似た人ばかりになったのでしょうか。
だから、アレとコレを一緒にして、一度に対策をとることができます。
貧困対策、少子化対策、エネルギー対策……。
でも反対に、同じラベルを貼った瞬間、人はそれ以上の観察をやめてしまうものです。
「わかったと思うとそれ以上見なくなる」の法則が発動するからです。
「最近のアイドルはみんな同じに見える」と、年配の人がぼやいているのを聞いたことはないでしょうか。これは単に、その人が最近のアイドルを見ていないだけです。観察すれば全員がちがうことにすぐに気づくでしょう。同じに見えているとしたら、それは見ていないだけなのです。
――『言語化だけじゃ伝わんない』より
本当に「全部同じ」なのか。
それとも、自分がそれ以上見なくなっているのか。
そこは切り分けたほうがいいでしょう。
自分が好きなジャンルを思い浮かべると、このことがよくわかります。
コーヒーに興味がない人からすれば、どれも「苦い飲み物」です。
でも、コーヒーが好きな人なら、豆の産地や焙煎、淹れ方による違いを感じます。
つまり、違いは最初からそこにあるのです。
自分がそれを見分けられているかどうかが違う。
「全部同じに見える」という感覚は、対象について語っているようで、実は自分の観察量について語っているのかもしれません。
「わかった」は、観察を終わらせる
私たちは、わからないものを見ると不安になります。
だから、なるべく早く名前をつけたくなります。
「ああ、これは○○ね」とラベルを貼る。
すると、安心します。
わかった気になれるからです。
ところが、その安心と引き換えに失うものがあります。
それが、観察です。
「あの人は若者だから」「あの人はエリートだから」「あの人は保守的だから」「あの人は意識高い系だから」
ラベルを貼った瞬間、「この人はこういう人」と理解した気になります。
すると、その人自身を見なくても説明できるようになってしまいます。
だから怖いのです。
言葉を知っている人ほど、何でも説明できてしまう。
しかし、説明できることと、よく見えていることは同じではありません。
むしろ、説明がうますぎるせいで、目の前の現実を見る必要がなくなってしまうことさえあります。
「全部同じに見える」ときこそ、もう一度見る
言葉を使う以上、ものごとをまとめることからは逃れられません。
私たちは「アイドル」「若者」「会社員」「貧困」「少子化」といった言葉を使いながら考えます。
大事なのは、そのラベルを現実そのものだと思わないことです。
ラベルの下には、たくさんの「中身」があります。
しかも、その中身は一つひとつ違います。
だから、「最近の○○は全部同じだな」と思ったときこそ、少し疑ってみる。
「本当に同じなのか。それとも、自分が見ていないだけなのか?」
そう考えて、もう一度観察してみる。
すると、それまで「同じ」に見えていたものの中から、少しずつ違いが浮かび上がってきます。
「わかった」と思ったところで、見るのをやめない。
むしろ、「わかった」と思ったところから、もう一度見る。
それが、言葉によって世界を雑にひとまとめにしないための、大切な習慣なのです。
1981年静岡県生まれ。制作会社にて、雑誌タイアップ広告の制作進行を務めたのち、フリーランスのライターを経験。国際情勢関連の英日翻訳をやりながら、2011年からイラストレーターの活動をスタート。現在は書籍・雑誌・広告など幅広く活動中。特に、ビジネス書や新書での挿絵や図解を担当することが多く、10年以上、活躍している。
これまで、装画・イラストを担当した書籍は200冊以上。『言語化だけじゃ伝わんない ―― 絵を描くように「考える・伝える」技術』(ダイヤモンド社)が初の単著となる。




