会社の評価基準や、周りが「良し」とする物差しに沿って一生懸命頑張ってきたはずなのに、ふと「これで本当に自分は幸せになれるのだろうか」とわからなくなる――そんな瞬間はないでしょうか。『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』の著者・山口周さんは、この違和感の正体を新約聖書における「罪」という言葉の本来の意味から読み解きます。マッキンゼー史上最年少でパートナーに昇格し、エンロンのCEOとして1億ドルを超える年収を得た男が、なぜ「破滅」に至ったのか。「エリートだからこそ人生を踏み外す」という逆説の話を聞きました。(構成/小川晶子、ダイヤモンド社書籍編集局)
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頑張って目指してきたものが、本当に正しいとは限らない
――周りに認められるために頑張ってきたことが、本当に自分を幸せにするのか、ふとわからなくなることがあります。これはどう考えればいいのでしょうか。
山口周氏(以下、山口):とても大事な違和感だと思います。
新約聖書には「罪」という言葉がしばしば出てきますが、これは原語のギリシア語では「ハマルティア」、もともと「的外れ」という意味なんです。私たちは「罪」と聞けば、盗みや暴力といった「犯罪」を思い浮かべますが、そうではなく、「目指しても仕方がないもの」「狙っても意味がないもの」を目標にすることを「罪」と言っているのです。
現在の社会に目を転じれば、この「罪」はそこかしこに見られます。そんなものを目指しても幸福になれない、むしろ目指せば目指すほど不幸になってしまうようなことを、多くの人が目標に設定しているように、私には見えます。
エリートの破滅
――目標設定を間違えて不幸になるとは、どのようなことでしょうか。
山口:その典型的な例が、元エンロンCEOのジェフ・スキリングの破滅です。経営学者クレイトン・クリステンセンは、ハーバード・ビジネス・スクールの同窓だったスキリングを題材にして「自分なりの成功のモノサシ」を持つことの重要性を語っています。
ハーバード時代のスキリングは頭脳明晰で努力を惜しまない家族思いの立派な男だったといいます。マッキンゼー史上最年少でパートナーになり、エンロンのCEOとして1億ドルを超える年収を得たのですから、まさに「エリート」です。しかしその一方で私生活は順風満帆とはいかず、最初の結婚は離婚に終わり、さらには金融破綻に関わる重罪で有罪判決を受けました。
クリステンセンは、スキリング以外にも人生を「はなはだしく踏み外している」同窓生たちがいたことを述べています。
こういう話を聞くと、多くの人は「エリートなのになぜ?」と考えてしまいますが、話は全く逆で、むしろ「エリートだからこそ」人生を踏み外したと考えるべきなんです。
「与えられたテストで一番」を目指し続けた結果
――なぜ「エリートだからこそ」なのでしょうか。
山口:エリートは全般に「他者から与えられたモノサシを鵜呑みにする」傾向が強いからです。
課されたテストに意味や目的を問うこともなく、ただ一番を目指して一心不乱に取り組める。その性格特性こそが彼らの成績を押し上げ、エリートたらしめているのです。
スキリングは自他ともに認めるエリート中のエリートで、本人がインタビューで語っている通り「自分は一番以外になったことがない」という人生を送ってきました。しかし彼は「与えられたテストで一番になること」ばかりを考えるだけで、最も重要な「私の人生で最も重要な指標は何か?」「何を一番にしたら私は幸福になれるのか」という問いについては、考えたことがなかったのでしょう。結果は経営破綻、家庭の崩壊、そして実刑判決という破滅です。
目標設定を外せば、どんなに精緻な戦略を作ってもプロジェクトは必ず破綻します。エリートの破滅は、私たちに「自分なりの成功のモノサシ」を持つことの重要性を教えてくれるのです。





