約1200年前の北アメリカには、人口1~2万人を擁する巨大な集落が存在していた。乾燥地では高度な灌漑で農業を営み、別の地域では交易や狩猟、漁労を中心に暮らすなど、先住民たちは環境に合わせて多彩な社会を築いていた。巨大なマウンド、集合住宅、部族間の同盟――。私たちが抱きがちなイメージを大きく覆す、知られざる北米の歴史を『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から紹介する。

【巨大都市もあった! 知られざる北米史】約1200年前、先住民が築いた人口1~2万人の社会Photo: Adobe Stock

北アメリカの先住民

 複雑なコミュニティを築き、現在のアメリカとカナダに最初に定住した何百万人もの人々を、先住民と呼ぶ。

 初期の先住民は、紀元前1300年ごろ、古代プエブロ人(英米の歴史家はアナサジ人とも呼ぶ)が、フォーコーナーズ周辺に定住するようになった。最初は、地面をある程度掘り下げてつくった竪穴住居で暮らしていた。

 750年ごろには、日干しレンガや手近な材料を使って、プエブロという多層式の集合住宅を建てるようになる。プエブロ人はまた、断崖や山の斜面に岩窟住居をつくったことでも知られている。宗教儀式のために、キヴァという洞窟のような半地下の空間もつくった。彼らは優秀な農民でもあった。フォーコーナーズはかなり乾燥した土地なので、灌漑技術を考え出し、メイズなどの作物を栽培した。

 プエブロ人はこの地域で暮らし続け、1300年ごろに何百もの都市国家に分裂し、リオグランデ川沿いに定住するようになる。都市どうしで交易をおこない、いくつかは規模の大きな交易拠点になった。彼らは繁栄し、その子孫はいまでもこの地に住み、文化を守っている。分裂が起きた理由は、解明されていない。

 現在のアリゾナには、ホホカムとも呼ばれるフグガムの人々が住んでいた。彼らは200年ごろにメキシコ方面からやってきたとされ、1000年ほど定住していた。フグガムの人々は当時、北アメリカで最大級の、高度な灌漑システムを備えていた。また、彼らのコミュニティは北アメリカと中央アメリカを結ぶ役割を果たし、南北アメリカ大陸における、交易の重要な拠点になっていた。

 マウンドビルダーの社会は、祈祷所や墓として巨大なマウンド(塚)を築き、それらはいまでもアメリカ中西部に残っている。いちばん古いものは紀元前1000年ごろにつくられ、メソアメリカのピラミッドを思わせる。これは、マウンドビルダーがメソアメリカからやってきた可能性を示す手がかりになっている。

 マウンドビルダーには、アデナホープウェルミシシッピアンと呼ばれる人々が含まれる。アデナの人々は狩猟採集民族で、紀元前800年ごろに栄えた。ホープウェルの人々は農耕と交易をおこない、紀元前200年から500年ごろにもっとも栄えた。700年ごろになると、ホープウェルの人口は減少し、ミシシッピアンの人々が勢力を拡大した。800年から900年ごろ、彼らの最大の集落であるカホキアが発展していった。カホキアは現在のイリノイ州に位置し、最盛期には1~2万もの人々が暮らしていた。ミシシッピアンの人々が築いた最大のマウンドである、モンクス=マウンドもここにある。

さまざまな環境が生んださまざまな社会

 北部、つまり現在のアラスカはあまりにも寒く、定住したイヌイット族やアレウト族は、イグルーをつくって厳しい寒さから身を守った。食料は狩猟や魚釣りで調達していた。もともとはシベリアからやってきたと思われ、ベーリング陸橋を渡って大移動をした最後の人々だった可能性がある。

 北西部は森林が生い茂り、海にも簡単に行けたので、定住したトリンギット、ハイダ、チヌークといった部族は、木材で住居を建て、宗教的な意味を持つトーテムポールをつくった。そして、サーモンをはじめとする魚を、主な食料源にしていた。

 西部は土壌がとても豊かだったので、ユート族とショショーニ族は作物をたくさん収穫できた。これらの部族は大きな村をつくらないで、小さな氏族で暮らしていた。

 南西部は古代プエブロ人の子孫(ホピ族、アコマ族、ズニ族)の故郷で、日干しレンガで建物をつくり、メイズを栽培する暮らしを続けていた。1100年から1500年ごろのあいだに、アパッチ族と、ディネとも呼ばれたナバホ族というふたつの遊動狩猟採集民がやってきた。彼らもまた、1世紀もたたないうちに村をつくった。

 グレートプレーンズには、バッファロー(バイソン)の群れがたくさんいたので、人々はそこで遊牧民になったり、狩りをしたりした。ブラックフット族とアパッチ族は、バイソンの群れを追いかけるため、簡単に移動できるティピー(円すい型のテント)に住んでいた。1600年代以降、コマンチ族やダコタ族などのいくつかの部族は、スペインの探検家のもとから逃げ出した馬を乗りこなすようになり、馬を扱う名手として知られるようになった。

 南東部には、川と山が育んだ豊かな土壌があった。クリーク族、チカソー族、セミノール族、ツサラギ族(英米の歴史家からはチェロキー族と呼ばれている)が農耕をおこない、畑の周りに定住して村をつくった。

 北東部は森林が生い茂っていたので、アルゴンキン族やホデノショニ連邦の人々は狩猟や交易、農耕をおこない、木材で作ったロングハウスに住んでいた。

 現在でも、多くの先住民族が、独自の文化と慣習を守りながら暮らしている。

ホデノショニ連邦

 ホデノショニ連邦(フランス語ではイロコイ連邦、英語では5部族連合と呼ばれた)は、現在のニューヨーク州北部に住んでいた、5つの先住民国家の強力な同盟のことだ。5つというのは、カユーガオノンダーガセネカモホークオナイダである。

 それぞれが独自の言語と文化を持っていたが、大いなる平和の法という共通の法律に従っていた。それぞれの代表が大協議会を構成し、統治と紛争の解決にあたった。食料を共有して分配し、全員に公平にいきわたるよう調整した。また、問題の解決は、戦いではなく、話し合い(現在では外交と呼ぶ)でおこなった。1722年にはタスカローラ族も加わり、現在も続くホデノショニ連邦は、6つの先住民国家から成っている。