ベネターはさらにこう続ける。「その子どものためにその子どもが存在させられるということは不可能である」。これは論理的に考えれば当然のことだ。存在していない者の利益を図ることはできない。存在していない者には、利益も不利益もない。
子どもは、存在するようになって初めて、利益や不利益を被る主体となる。つまり、子どもを作るという行為は、常に親の側の都合で行われるのであって、子どものためではありえないのだ。
だとすれば、「産んでくれてありがとう」という感謝は、論理的に奇妙なものになる。頼んでもいないことをされて、なぜ感謝しなければならないのか。しかも、生まれてきたことで、私たちはさまざまな苦痛を味わうことになる。病気、怪我、失恋、失業、老い、そして死への恐怖。生まれてこなければ、これらの苦痛を味わう必要はなかった。
親に依存している間は
「戦略的感謝」で乗り切る
とはいえ、現実問題として、親との関係を完全に断ち切ることが難しい場合も多い。特に、まだ学生で、親に経済的に依存している場合はそうだ。
そこで私が学生たちに勧めているのが、「戦略的感謝」だ。
日本では、大学の学費を親が負担することが多い。国立大学でも年間約53万6000円、私立大学なら100万円を超えることも珍しくない。4年間で数百万円になる。これは大きな金額だ。
しかし、法的には、一般に、親に大学の学費を出す義務はない(※「未成熟子」という概念から成年でも就学中の扶養義務を認めた例もあります。大学在学中に親が「もう学費払わん」って言い出したら裁判すればワンチャンなんとかなるかもしれません)。
基本的には、民法上の扶養義務は、子どもが自立できるまでの養育を想定しており、高等教育機関への進学は含まれないと解釈されている。つまり、親が大学の学費を出してくれているのは、法的義務ではなく、親の厚意なのだ。







