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「育ててもらったのだから感謝すべき」「親を嫌うなんて親不孝だ」。そんな世間の“常識”に苦しめられている人もいるだろう。しかし、親だからといって相性が良いとは限らないし、「産んでくれたこと」に感謝する義務もない。それでも親とうまく付き合わなければならないとき、どうすればいいのか。哲学者の小島和男氏が提案する、ちょっと打算的な処世術とは。※本稿は、哲学者の小島和男『生まれたくなんかなかったのに』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
親を愛せないのは
道徳的な欠陥ではない
親が嫌いだ。こう言うと、世間では眉をひそめられることが多い。「育ててもらったのに」「親不孝だ」「そんなこと言うもんじゃない」。親が嫌いだと口にすることには、なぜかタブーのような空気がある。テレビドラマでも映画でも、親子の絆は美しいものとして描かれることが多い。親を嫌う子どもは、わがままな存在として描かれがちだ。
しかし、冷静に考えてみよう。世の中には良い人もいれば悪い人もいる。優しい人もいれば意地悪な人もいる。それと同じように、良い親もいれば悪い親もいる。子どもを愛し、尊重し、その成長を支える親もいれば、子どもを虐待し、搾取し、傷つける親もいる。親だからといって自動的に良い人間になるわけではない。当たり前のことだ。
「産んでやった」「育ててやった」。こういう言葉を親から言われた経験がある人は少なくないだろう。しかし、産んでくれと頼んだ覚えはない。育ててくれと頼んだ覚えもない。子どもを産んで育てることを選んだのは親であり、その責任は親にある。子どもがそのことに感謝する義務はない。いわゆる「中2病」っぽいが、生まれる前は存在していないのだから、真理だ。
私は大学で学生たちと話をする機会が多いが、親との関係に悩んでいる学生は少なくない。
「親が嫌いなんです」と打ち明けてくる学生に、私は言う。「嫌いなら嫌いでいいんじゃないか」と。親を好きになれないことは、道徳的な欠陥ではない。嫌な人間を嫌いだと思うのは、むしろ健全な感覚だ。
産んでくれたことに
感謝する必要はない
「産んでくれたことに感謝しなさい」。これもよく聞く言葉だ。しかし、私はこの言葉に強い違和感を覚える。
子どもは、自分の意志で生まれてきたわけではない。生まれる前に「生まれたいですか?」と聞かれた人はいない。すべての人間は、自分の意志とは無関係に、この世界に存在させられたのだ。
では、誰が子どもを存在させるのか。親である。そして、親が子どもを作る理由は何か。哲学者デイヴィッド・ベネターは『生まれてこないほうが良かった』の中でこう述べている。「人は決してその子どものために子どもを持つはずはないのである」。
子どもがほしい、跡取りがほしい、孫の顔が見たいという親を喜ばせたい、寂しいから、老後の面倒を見てもらいたいから……。理由はさまざまだが、いずれも親や周囲の人間の都合であって、生まれてくる子ども自身のためではない。







