第二次世界大戦が始まると、ヒトラー率いるドイツ軍は電撃戦でヨーロッパ各地を次々と制圧していった。一方、ドイツと不可侵条約を結んでいたソ連のスターリンも、当初は枢軸国と一定の距離を保っていた。ところが1941年、ヒトラーが突如ソ連へ侵攻し、状況は一変する。『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から紹介する。

【アメリカ人が学ぶ第二次世界大戦】ヒトラーに裏切られたスターリンが選んだ「まさかの決断」Photo: Adobe Stock

世界大戦……第2ラウンド

 1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻する。9月3日、イギリスとフランスが警告したように、ドイツに宣戦布告する。第二次世界大戦が始まった。ヒトラーはスピードと奇襲攻撃を組み合わせた電撃戦をおこない、たったの数週間でポーランドを制圧した。

 世界は再び、対立するふたつの陣営に分裂することになる。

 ソ連もポーランド東部に侵攻し、その後フィンランドを攻撃し、バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)を占領した。ヒトラーは北進し、1940年4月にデンマークとノルウェーを、続いてベルギー、オランダ、ルクセンブルクを制圧する。

西ヨーロッパの戦争

 次の標的はフランスだった。連合軍は、ドイツとの国境に築いたマジノ要塞線沿いに部隊を展開していたけれど、イギリス海峡に面したフランスの町ダンケルクへ撤退を強いられた。そしてそこで、北から迫るドイツ軍と、南から攻撃をしかけるイタリア軍によって身動きが取れなくなった。

 1940年6月14日、ドイツ軍がパリを占領し、フランスは6月22日に降伏する。ダンケルクにとどまっていた数千人のフランス兵とイギリス兵は、漁船で脱出してイギリスへ渡り、シャルル=ド=ゴール将軍(将来のフランス大統領)が率いる自由フランス軍に加わった。人員の補充に比べれば、軍備の補充はずっと簡単だったから、とにかく兵士が生きのびて、再び戦うことが大事だった。

英国空中戦

 1940年夏、ヒトラーはイギリスへの空襲を始める。この英国空中戦で、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)は飛行場や滑走路を爆撃し、イギリス空軍の動きを封じようとしたけれど、うまくいかなかった。ねらいはイギリス侵攻のための道を切り開くことだった。

 8月24日夜、ドイツ空軍が戦術を変えてロンドンを爆撃すると、イギリス空軍はドイツの首都ベルリンを爆撃して応戦した。戦争は激化し、英国空中戦はロンドン大空襲へと発展する。ドイツは侵攻こそ延期したけれど、1940年9月から1941年5月にかけて、ロンドンを中心に、リヴァプールやマンチェスターなどのイギリスの都市への爆撃を続けた。

 ウィンストン=チャーチル首相が率いるイギリスは、降伏をこばんだ。最終的に、ドイツによるイギリス侵攻は実現しなかった。

 ヒトラーは方針を変えることにした。ソ連の資源と兵力は必要だったけれど、スターリンとの競争を懸念し、1941年6月にソ連を攻撃する決意をして、両国が結んだ条約を破った。ソ連は、捕虜や戦死によって数千の兵士を失い、撤退するしかなかった。

 スターリンもまた方針転換をはかり、連合国に加わった。そして国民に対して、ドイツ軍に奪われる前に、自分たちの資源を破壊し、都市を焼き払うように命じた。いわゆる焦土作戦というものだ。ドイツに裏切られたスターリンは、「敵の敵は味方である」という考えを受け入れたのだった。