1917年、第一次世界大戦に参戦したアメリカは、軍隊を動員し、産業や社会を戦時体制へと大きく変えていった。やがてアメリカ軍の参戦は戦局を動かし、1918年に大戦は終結する。だが、平和が訪れたわけではなかった。戦後に結ばれたヴェルサイユ条約は、敗戦国ドイツに重い賠償と厳しい制裁を課し、新たな対立の火種を残した。アメリカから見た第一次世界大戦の終結と、その後の世界を『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からのアメリカ史』から紹介する。

【アメリカから見た第一次世界大戦】終戦後も火種は残った…ドイツを追い詰めたヴェルサイユ条約Photo: Adobe Stock

戦争の準備

 1917年、中立を保っていたアメリカは参戦した。連邦政府は戦争に備え、軍隊を動員し、軍需品製造のための産業を再編成し、国民の支持を集め、反対意見を封じ込める必要があった。

 アメリカ軍には、女性や黒人を含む多くの志願兵がいたけれど、これほど大きな戦争に対処するには規模が小さすぎた。1917年5月、選抜徴兵法が制定され、21歳から30歳までのすべての男性を対象に徴兵が始まった。

 黒人の兵士は、アメリカ軍では白人兵士から隔離されたけれど、フランス軍では白人兵士と肩を並べて戦った。なかには勇敢さを称えられ、フランスのクロワ=ド=ゲール(戦争の十字)という勲章をもらったアフリカ系アメリカ人もいた。

 戦時産業局は軍需品の分配と製造を管理した。一方で、広報委員会(CPI)は反ドイツ感情をあおるため、ドイツの残虐行為についてプロパガンダ活動をおこなった。これはうまくいったけれど、ドイツ系アメリカ人に対する嫌がらせを生むことになった。

国民の支持を集める

 広報委員会は、国民に以下のことをさせるうえでも大きな役割を果たした。

戦時国債の購入。戦時国債というのは、終戦後に利子をつけて返してもらう、政府への融資のようなもの。

●自主的な計画による、食料や燃料などの資源の節約(節約を誓うと、燃料局食料局から、愛国心の証として窓に貼るカードをもらえた)。

勝利の庭づくり。大規模な農場でつくる食料を、もっと兵士に行き渡るようにするために。

反対意見を封じ込める

 宣戦布告後は、ほとんどのアメリカ人が戦争遂行を支持したけれど、戦争に反対する人々も依然として多かった。政府はこれに対応するためふたつの法律を新たに制定した。

アメリカの介入が流れを変える

 アメリカは協商国を支援するため、ただちに護送船団方式を導入した。これは、貨物船をまとめて大西洋に送り、Uボートの攻撃から守るために軍艦に護衛させるしくみだった(アメリカの陸軍は小規模だったけれど、海軍はそうではなかった)。

 ジョン=パーシング将軍率いるアメリカ外征軍(AEF)と呼ばれるアメリカ陸軍がフランスに到着すると、協商国に活力がもたらされた。人員の投入によって士気が高まり、戦争の流れに変化が生まれた。

 ウィルソン大統領は、新たな大戦を防ぐための計画として、「十四カ条」の原則を発表した。なかでも特に重要なのは、次の項目だ。

 1918年には、同盟国は崩壊しつつあった。ドイツはアメリカ軍を過小評価していて、ドイツ海軍ではいまにも反乱が起きそうだった。

 そしてこの時期には、人を死に至らしめる1918年インフルエンザパンデミック(「スペイン風邪」)が世界じゅうに広まり、あらゆる陣営のキャンプや病院に大きな打撃を与えていた。

 ドイツは休戦に同意し、1918年11月11日午前11時、休戦協定が発効された。こうして大戦争が終結した。

ヴェルサイユ条約

 1919年、ウィルソン大統領、イギリスのロイド=ジョージ首相、フランスのジョルジュ=クレマンソー首相、イタリアのヴィットリオ=オルランド首相の四巨頭が、パリ近郊のヴェルサイユで会談した(同盟国は招かれなかった)。

 ウィルソン大統領は、できるだけ憎しみを残さずに戦争を終わらせたいと願っていた。ところが、勝利したヨーロッパ各国は、ドイツがすべての責任を負い、植民地と軍隊を手放し、賠償金を支払うことを求めた。

 ヴェルサイユ条約は、ウィルソンの十四カ条のいくつかの原則を取り入れた。ヨーロッパで国境線が引き直され、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国が分割された。でも、民族の分断は解決できず、かえって悪化させた可能性がある。ドイツが受けた制裁はあまりにも厳しく、戦争から立ち直ることはほとんど不可能だった。

 ウィルソンは議会に対してヴェルサイユ条約の批准を求めたけれど、これは否決された。議会は国際連盟がアメリカ軍の戦闘の時期や場所を決めるようになることで、議会の権限が奪われることを心配したのだ。

 国際連盟の設立により、ウィルソンの最大の望みはかなったけれど、アメリカが加盟することはなかった。

垣間見える未来

 アメリカの社会はこの戦争によって変わった。多くの若者が軍隊に召集され、女性や移民、黒人はかつてないほどいい仕事に就けるようになっていた。北部の労働あっせん業者たちが、黒人労働者を北部に移住させようと、鉄道の切符を手にして南部にまでやって来るほどだった。そのため国内では、大規模な移住が起きていた。

 戦争が終わると、アメリカ人は孤立主義に戻ることを望んだ。条約の批准には上院の承認が必要だったが、上院はヴェルサイユ条約の批准をこばみ、アメリカは国際連盟にも加盟しなかった。

 それでも、アメリカが国際社会で大きな役割を担う国になったことは明らかだった。世界と貿易をするには、世界と関わらないわけにはいかなかったのである。