「芸術かアートかわいせつか、ということと同じ」「それをどう感じるかは個々の判断だと思いますね」(2012年1月16日 J -CASTニュース)

 これには賛否両論あるだろう。ただ、秋元氏はまったく意図していないだろうが、このようなロジックで少女の性的対象化や性的搾取の問題を切り抜けたことによって、日本のアイドル文化の「闇」はいっそう深いものになってしまう。

 日本では、1970年代から80年代後半にかけてロリコンブーム、1990年代には小中学生のアイドル、いわゆるチャイドルブームが起きるなど、定期的に「少女」をコンテンツとして消費する風潮が盛り上がる。

 AKB48に代表される平成アイドルブームの時期、それにあたるのが「ジュニアアイドル」のブームだ。

 ご存じない方のために説明すると今、まだ小中学生の少女が「ジュニアアイドル」を名乗って、水着やセーラー服、網タイツ姿のボンテージファッションなど露出の高い姿を売りに、ファンの撮影会や写真販売を行っている。

「子どもを性的に消費しているのではないか」という批判が寄せられるが、プロデュースしている親や、所属する芸能事務所は「秋元ロジック」で対抗をする。つまり、あなたがそういういやらしい目で見ているから、そう感じるのであって、ピュアなファンの目から見ると、これは純粋なアートだというのである。

 また、「本人の意志」をアピールするケースも多い。少女たちがこういう露出の高い格好をしているのは、親や事務所が強要しているのではなく、アイドルになりたいという夢に向かって努力する本人が自ら進んでやっているので、それを邪魔するのかというのである。

 ただ、そういうロジックが消し飛ぶような「性の商品化」問題も頻繁に起きている。例えば、2025年6月には14歳のジュニアアイドルの使用済み衣装を、母親がフリマアプリで出品して炎上した。

 また、同年5月には小学生のジュニアアイドルが、太目のきゅうりを口いっぱいにほうばっている写真をSNSで拡散している芸能事務所に批判が殺到した。

 このように「アート」や「本人の夢」というパワーワードを持ち出せば、未成年者の性的商品化まで正当化する“免罪符”として使われてしまう。そんなモラルハザードを生み出したのは、AKB48をはじめとする平成アイドルブーム、つまり仕掛け人である秋元康氏こそが「元凶」ではないかというのは一部の人々はかねてからSNSで指摘していた。

 それが、何かの拍子でドカンと盛り上がったというのが、現在の「秋元氏の炎上」なのである。

現代の闇につながる
「江戸のアイドル」の正体

 ただ、秋元氏を擁護するわけではないが、こういう未成年者の性的搾取などの問題のすべてをAKB48や平成アイドルブームのせいだというのはちょっと気の毒だ。

 年端もいかない少女や若い女性を大人たちが性的搾取や商品化するのに「芸術」や「娯楽」という建前を使い、「本人の意志」や「親の同意」などもっともらしいロジックで正当化するというのは、アイドルビジネスのはるか昔から行われれていた日本の「伝統」でもあるからだ。

 よく日本のアイドル文化の源流として語られるのは、江戸時代の歌舞伎役者だが、もうひとつ「看板娘」や「芸妓」もある。

 看板娘は、茶屋で働く娘が美人だと評判となり、美人画として販売・拡散。その評判を聞きつけてその茶屋が人気となる。令和で言うところの、メイドカフェのカリスマ店員のようなものだ。

 また、芸妓は座敷で、舞踊、三味線、お座敷の話術などで客をもてなす「芸の売手」だが、やはりこちらも多数の美人画が販売されていたことからも分かるように、江戸の男性たちが性的魅力を感じていたことは明らかだ。

 それも無理はない。当時の江戸は、町人の男は女性の1,8倍の人数に達する時期もあったほどすさまじいい「男あまり社会」だった。女性と交際できぬ者はもちろん、死ぬまで独身という男性もたくさんいたのだ。

 では、そんな「江戸のアイドル」たちが、みな望んでそのようなポジションについたかというと、当たり前だがそんなことはない。貧しい農村の娘たちが「親の同意」のもと、7〜12歳で「年季奉公」という名目で「人買い」に売られた。下女として雑用をする者だけではなく、芸者や遊女にさせられる者もいたが、借金返済のためということで表向きは「本人の意志」でそういう労働に身を投じた。