本田宗一郎Photo:SANKEI

「世界のホンダ」を一代で築いた本田宗一郎は、経営者として大きな成功を収めながらも、現場で働く従業員から「オヤジさん」と呼ばれ、親しまれ続けた。

66歳で経営の第一線を退いた宗一郎は、その後、全国の工場や販売店をめぐり、従業員一人ひとりに感謝を伝える旅に出る。そこで、油まみれの手を慌てて引っ込めた一人の工員に、宗一郎がとった行動とは。最後まで「一技術者」であり続けた名経営者の引き際を振り返る。(偉人研究家 真山知幸)

「お前ら、真面目にやってくれ」と言い残して退任

 名経営者と呼ばれる人は、人生の最盛期のみならず、引き際もまた「さすが」と思わせるものである。

 自動車修理工から身を起こし、「世界のホンダ」を一代で築いた、本田宗一郎もまたそうだった。

 宗一郎が独立したのは、21歳のとき。勤務先から見込まれて、自動車修理工場の浜松支店を開業したのが、経営者人生のスタートだった。

 本田技研工業を創業すると、二輪車で世界のトップメーカーとなり、四輪車に進出。日本の自動車エンジンを世界最高レベルまで高め、宗一郎は日本人として初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たした。

 そんな宗一郎は昭和48(1973)年、ホンダ創業25周年の年に66歳で引退を決意。退任の日にこう言い残した。

 「俺たちは祭りばかりやってきた。お前ら、真面目にやってくれ」

 宗一郎に先がけて辞任を決めたのは、後任が十分に育ったと判断した副社長の藤澤だった。小さな工場でのオートバイ作りから始まり、F1マシンまで開発したその道のりは、宗一郎の言葉通り、ふたりにとってビジネスではなく「祭り」だったのだろう。