司馬懿は、最初から魏を乗っ取り、自らの一族による新王朝を築こうとしていたのか。のちに司馬氏が実権を握り、孫の司馬炎が晋を建国したという「結果」だけを見れば、そう考えたくなる。だが、歴史を結果から逆算すると、大切なものを見落としかねない。司馬懿から司馬師、司馬昭へと権力が受け継がれるなかで、いったい何が変わったのか。新刊『地図で学ぶ深読み世界史』の著者が、司馬氏による魏の「乗っ取り」を、一人の天才的陰謀ではなく、権力が積み重なっていく過程から読み解く。

「司馬懿は最初から魏を乗っ取るつもりだった?」→息子たちを見ると“意外な真相”が見えてくるPhoto: Adobe Stock

司馬懿を「最初からの陰謀家」と見ると、歴史を見誤る

 司馬懿という人物を見るとき、よく語られるのが「最初から魏を乗っ取るつもりだったのか」という問題である。曹操の時代から続いた魏の政権に仕えながら、最後には司馬氏が実権を握り、その孫の世代には晋が成立する。その結果だけを見れば、司馬懿は最初から王朝簒奪を狙っていたようにも見える。

 しかし、歴史は結果から逆算すると単純になりすぎる。司馬懿に大きな野心があったことは間違いないとしても、「自分の一族で新王朝を作る」と最初から決めていたかどうかは別問題である。

魏の運命を変えたのは、司馬懿より「息子たち」だった?

 興味深いのは、むしろ息子たちの代だ。司馬懿が高平陵の変で曹爽を排除し、政権の主導権を握ったあと、その基盤を引き継いだ司馬師は、反対派の排除を進めながら司馬氏の支配をさらに強めていく。そしてその流れは弟の司馬昭へ受け継がれ、最終的には司馬炎による晋の建国へつながった。

 つまり司馬氏の王朝簒奪は、一人の天才的陰謀家が最初から描いた計画というより、父から子へ権力が継承されるなかで、選択肢が少しずつ変わっていった過程として見る方が面白い。父の代では「政敵を倒して政権を握る」だったものが、子の代では「魏そのものをどうするか」という問題に変わる。

 この見方をすると、司馬懿の人物像も少し変わってくる。最初からすべてを計画していた怪物として見るより、その時々の危機に対応しながら権力を握り、結果として息子たちに巨大な遺産を残した人物と考えた方が現実的だ。

 王朝交代は、ある日突然始まるわけではない。政敵を倒す、軍を握る、人事を支配する。その一つ一つが積み重なり、やがて「もう元には戻れない」となる。司馬氏の台頭は、「野心の物語」以上に、「権力が自己増殖していく物語」として読めるのである。