降伏後の元親と四国のゆくえ
四国平定後、阿波は蜂須賀家政、伊予は小早川隆景、讃岐は仙石秀久らに与えられ、長宗我部元親は土佐一国を治める大名として豊臣政権に組み込まれました。
羽柴秀長(右)と長宗我部元親 (C)NHK
その後、元親は秀吉に謁見するため大坂城まで出かけていき、臣従の立場を明確にすると、九州征伐や小田原征伐、朝鮮出兵にも参陣しましたが、四国を手に入れるという若き日の夢はついえたまま、慶長4年(1599)、京都の伏見で61歳の生涯を閉じたのでした。
四国攻めの総大将して活躍した羽柴秀長 (C)NHK 拡大画像表示
第35回では、秀吉が関白に就任する様子も描かれていた。関白になれるのは近衛家など五摂家に限られていたため、秀吉(左)は近衛家前当主の近衛龍山(右)に接近する (C)NHK 拡大画像表示
天正13年、秀吉はついに関白に就任する (C)NHK 拡大画像表示
次ページでは本記事の動画版を掲載。長宗我部元親の銅像がイケメンな理由、なぜこれまで元親が大河ドラマでスルーされ続けてきたかなどについてお話ししています。







