羽柴長秀(小一郎)は、名前の漢字を入れ替えて「秀長」に改名する(C)NHK羽柴長秀(小一郎)は、名前の漢字を入れ替えて「秀長」に改名する (C)NHK

歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第35回のタイトルは「秀長誕生」。羽柴秀吉(演:池松壮亮)と徳川家康(演:松下洸平)&織田信雄(演:山脇辰哉)がぶつかった小牧・長久手の戦いを描くとともに、主人公・小一郎(演:仲野太賀)が「長秀」から改名、「秀長」になるところまでが描かれました。ドラマでは小牧・長久手の戦いの後ということになっていましたが、実は改名したのは戦が終結するより前のことでした。そしてこの改名には、ある政治的な意図が隠されていたのです。小一郎が名前を変えた本当の狙いとはなんだったのでしょうか?(かしまし歴史チャンネル/川合章子)

小牧・長久手の戦いは、もともと「信雄vs秀吉」だった

 小牧・長久手の戦いというと、徳川家康と羽柴秀吉が激突した戦いとして、語られることが多いと思います。しかし、そもそもの発端は、織田信長亡き後の主導権をめぐる織田信雄と秀吉の対立だったのです。

 自分だけでは秀吉に対抗できないと考えた信雄は、徳川家康を味方に引き入れます。一方の秀吉も、信雄方につく可能性があった池田恒興に尾張と三河を恩賞に与えることを約束し、味方に取り込みます。

 こうして両陣営が動き始めたのが、天正12年(1584)3月13日でした。この日、池田恒興が犬山城を攻め落としたと聞いた家康は、清洲城から小牧山城へ移動し、信雄も遅れて小牧山城に入りました。これにより小牧山城は信雄・家康連合軍の本陣となり、対する秀吉は楽田城を本陣としました。

信雄・家康連合軍は小牧山城を、秀吉軍は楽田城を本陣とした(C)かしまし歴史チャンネル信雄・家康連合軍は小牧山城を、秀吉軍は楽田城を本陣とした (C)かしまし歴史チャンネル

 両軍が睨み合う膠着状態を破るべく、秀吉は家康の本拠・岡崎城を狙う「三河中入り」を実行することにしました。ところが、この作戦は家康に察知されてしまったのです。

 家康軍は密かに小牧山城を抜け出すと、白山林で秀次(この時の名は三好信吉)軍を撃破。さらに長久手では池田恒興、森長可らの部隊を敗北に追い込みます。これが、後世に有名な「長久手の戦い」です。

 しかし、この有名な戦いに、秀吉の弟である小一郎は参加していませんでした。