NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』より (C)NHKNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の明智光秀(演:要 潤) (C)NHK

歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第27回のタイトルは「本能寺の変」。中国地方で毛利を攻めていた秀吉(演:池松壮亮)は、戦の総仕上げのために信長を連れてくるよう小一郎(演:仲野太賀)を安土城へ派遣。その安土城では、織田信長(演:小栗旬)が徳川家康(演:松下洸平)を接待していました。しかし食事に毒が盛られていたことが発覚、饗応役の明智光秀(演:要潤)が首謀者をかばっていると察した信長は逆上します。やがて本能寺の変が起こるのですが、そもそもなぜ光秀が1万3000もの兵を率いていたのに、信長は100人程度の手勢しか連れていなかったのか?また、信長の最期の言葉「是非に及ばず」とはどういう意味だったのでしょうか?(かしまし歴史チャンネル/川合章子)

信長の最後の正月は、安土城完成を華やかに祝っていた

 本能寺の変は、日本史の中でも最も有名な事件の一つです。今回は、事件そのものではなく、『信長公記』を中心とした一次史料をもとに、天正10年(1582)正月から6月2日の最期まで、織田信長が、どのような日々を送っていたのかを追いかけてみましょう。

 天正10年の正月、信長は完成したばかりの安土城で、盛大な年始の祝賀を開きました。前年に城郭がほぼ完成した安土城には、織田一門や諸大名が続々と祝いに訪れました。あまりの人出に、石垣の一部が崩落し、死傷者まで出たと伝えられています。

 しかし信長自身は終始機嫌がよく、帰る人々を自ら見送り、祝い金を手ずから受け取ったといいます。当時、大名であっても、献上品を信長本人に手渡せる機会は決して多くありませんでした。それだけに、多くの家臣や国衆にとってこれは、まるで現代の「アイドルの握手会」のようなもの。参加者が大感激する、特別な演出だったと想像されます。