まず、この2文字の言葉は将棋界だけのものではない。囲碁にもあるだけでなく、競技かるたの最高位も名人、連珠の最高位も名人だ。
私がたどりついた名人という言葉が記されている最古の文献は、紀元前3世紀頃、秦の宰相・呂不韋が編纂した「呂氏春秋」だった。秦が中国を統一する直前に編纂されたこの百科全書的書物には、「聖人生於疾學。不疾學而能為魁士名人者、未之嘗有也」という言葉がある。
現代語にすれば、「熱心に学ばないのに、すぐれた人物や名人たる人物になれた者は、いまだかつて1人もいない」という意味になる。ここから、名人とは、学びを重ねることによって、特別な領域に達した者だということがわかる。
400年を超す汗と涙が詰まった
「名人」という言葉の3つの要素
最終的には勝たなければならない。しかし勝つだけでも足りない。どう勝つか、どう負けるか、どのようにその地位を背負うかが問われる。
技芸の世界や職人の世界にも、名人の称号にふさわしい人は数多くいるはずだ。長く仕事を続け、学びを重ね、その所作や生き方まで含めて周囲の手本になっている人には「名人」という呼び方がふさわしい気がする。また、言葉の広がりから考えれば、どの世界にも「名人」と呼ぶにふさわしい人はいるはずだ。
たとえば会社組織の中にも、単に仕事ができる、数字を上げるというだけではなく、その人に教わると物事の見え方が変わる、この人がいると職場全体の水準が上がる――そういう存在に対して使われる言葉のようにも思う。
名人と呼びたくなる人とは、その技術を獲得するに至った時間、失敗の積み重ね、それを克服した道のりなどが、その世界をよく知らない人にも見えてくるような人ではないか。
『名人論 稀代の天才たちはいかに戦ったか』(谷川浩司・PHP研究所)
結局のところ、名人という言葉の中には3つのものが重なっているようだ。
第1に、技の高さ。
第2に、その技に到達するまで学び続けた時間と数多く味わってきた失敗。
第3に、その人に備わった風格。
この3つがそろった時、「名人」という言葉は最もしっくりくる。将棋界においては、この言葉の中に、400年を超える汗と涙が詰まっていることだけは間違いない。
ここまで書いて、果たして17世名人を名乗っている私に、その資格が備わっているのかと問われると、甚だ心許ない。ただ、そうあろうとする努力は生涯続けていくつもりだ。







