領地をもらうよりも、領地をどう治めるかの方が難しい
秀長というと、どうしても兄・秀吉の陰に隠れた存在として語られがちです。しかし、大和に入ってからの秀長を見ると、単なる「秀吉の弟」ではない姿が見えてきます。
城を整備し、商人を集め、城下町を発展させる。
町の自治を整える。
そして、広大な領国を家臣たちに分担させて統治する。
これは、戦場で敵を破るのとは違う、非常に地道で難しい仕事です。
領地をもらうことよりも、もらった領地をどう治めるかのほうが、はるかに難しいことなのですが、大和の領主となった秀長は、まさにその仕事に取り組み、確かな成果を収めていたのです。
さらに、秀長の領地経営は、のちの秀吉の「刀狩り」や「太閤検地」につながる実験場としても見ることができ、まさに秀長は、天下統一を目指す秀吉を戦場だけでなく「統治」という面からも支えていたといえるのです。
大和郡山城や城下町、そして「箱本」という仕組み、刀狩りや検地といった秀長の領地経営を見ていくと、豊臣政権を支えた秀長のもう一つの才能が見えてくるのではないでしょうか。
豊臣兄弟!第37回より(C)NHK 拡大画像表示
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次ページでは本記事の動画版を掲載。秀長が行った検地がどのように秀吉の「太閤検地」につながっていったかなどについてお話ししています。






