大和郡山城を改修、大幅に増築

 大和を領有すると、秀長は居城を和歌山城から大和郡山城へ移し、本格的な領国経営に乗り出しました。

 まず取り組んだのが、大和郡山城の大規模な整備です。

 筒井氏の居城だった郡山城は、秀長の入城によって大きく拡張されました。城の石垣には、周辺の寺院などから運ばれた五輪塔や石仏などが利用され、現在でも石垣の中にその痕跡を見ることができます。

 巨大な城を築くには、大量の石材が必要です。近隣から調達できる石を集め、寺院などの石造物まで利用したことからも、当時の築城がいかに大規模な事業だったかが分かるかと思います。

Photo:PIXTA大和郡山城の天守台 Photo:PIXTA 拡大画像表示
大和郡山城の「さかさ地蔵」 Photo:PIXTA大和郡山城に今も残る「さかさ地蔵」 Photo:PIXTA 拡大画像表示
ドラマでも、秀長に命じられた藤堂高虎が、城の改築に使うために地蔵を運んでいく場面があった (C)NHKドラマでも、秀長に命じられた藤堂高虎(演:佳久創)が、城の改築に使うために地蔵を運んでいく場面があった (C)NHK 拡大画像表示

商人を集め、城下町を発展させる

 しかし、領主の仕事は城を築くだけではありません。

 秀長が次に力を入れたのが、城下町の整備でした。

 当時、大和国で大きな商業都市だったのは奈良です。そこで秀長は、味噌・酒・薬・材木などの商業を大和郡山に集め、特定の商品の販売を城下町に集中させる政策を進めました。

 さらに大和郡山城下で商売を行う商人に対して、税の免除などの優遇措置を行い、多くの商人を大和郡山へ呼び寄せました。

 こうした政策によって、大和郡山城下には、魚塩町、雑穀町、茶町、材木町、紺屋町、豆腐町など、特定の商業を担う町が形成されていきました。

 つまり秀長は、単に「城を大きくした」のではなく、城を中心に人と商業を集め、経済的にも機能する都市をつくろうとしたのでした。