The Legend Interview不朽
「平和後の5、6年は不景気と思わなければならぬ」。1918年1月1日号の「ダイヤモンド」に掲載された「戦後の経済観」で、実業家の福沢桃介(1868年8月13日~1938年2月15日)はこう予言した。福沢諭吉の娘婿で、後に「電力王」と呼ばれる人物だ。ここでいう「戦後」とは、第1次世界大戦の終戦後を指す。

 この時点で、大戦はまだ終わっていない。17年4月に米国が参戦し、欧州では激しい戦闘が続いていた。欧州各国の工業生産力が落ち込む中、代わって日本が輸出国として台頭し、国内は空前の「大戦景気」に沸いていた。そのさなかに福沢は、戦争終結後の経済を見通し、日本に迫る危機を論じたのである。その予測は、実際の歴史とどこまで重なるのだろうか。

 福沢は「戦後世界の経済界は果たしてどう成り行くか、その真実を言い得る者は神のみである」と断りを入れ、自らの見通しも正夢になるか逆夢になるかは自分にも分からないと留保した上で、「桜の花の咲く頃」、つまり18年春には平和が見えてくるとの読みを披露している。終戦後は英・独・米の3カ国が「オールドパワー(世界の強国)」として世界をけん引すると見立てた。

 実際の休戦協定は18年11月で、福沢の言う春から半年以上遅れた。平和が近いという読みは当たったが、時期は外れたことになる。しかも福沢が想定したのは勝敗のつかない「引き分け」の講和だったが、現実はドイツの敗北に終わった。敗戦国ドイツはヴェルサイユ条約で領土縮小や賠償などの重い負担を課され、英国や米国と並ぶ強国にはなれなかった。戦後秩序を主導したのは米英仏などであり、福沢が描いた英独米の三国鼎立とは異なる展開となった。

 とはいえ、戦後経済の方向性についての見立ては、おおむね当たっている。福沢は、欧州各国が戦争で働き盛りの男性を失い、疲弊した生産力を立て直すために、自国産業を守り輸出を伸ばす「大保護政策」へかじを切ると論じた。

 実際、1920年代には各国が関税を引き上げ、とりわけ米国は22年のフォードニー・マッカンバー関税法で保護色を強めた。戦債や賠償、農業不況といった別の要因も大きく、主役も欧州ではなく米国で、福沢の筋書き通りとはいえない。ただ、関税障壁の連鎖は29年の世界恐慌を経てブロック経済化へと加速し、自由貿易の衰退と国際摩擦の激化を招いた。保護主義へ向かう大きな流れ自体は、福沢が見据えた通りになった。

 そして、欧州各国の輸出攻勢の矛先が日本に向かうという予測も当たった。大戦景気は日本製品が恒久的な競争力を獲得したからではなく、欧州の供給が途絶えたことによる特需であり、戦争が終わり欧州の供給力が回復すれば、日本は市場を奪い返されると福沢は予測。輸出減退と輸入超過によって、平和後は不景気が続くと喝破した。

 実際、日本の貿易は19年ごろから輸入超過に転じ、20年3月には「戦後反動恐慌」が襲う。株価や綿糸・生糸などの相場が暴落し、戦時のバブルは一瞬にして崩壊した。その後も23年の関東大震災に伴う震災恐慌、27年の金融恐慌、30年の昭和恐慌と危機が続き、日本経済は長く暗い時代へと入っていく。福沢が言った「5、6年」を、現実は大きく上回った。こうした長期の不況は昭和初期の社会不安を深め、満州事変へと向かう流れを招く土壌の一つになったともいわれる。

 18年1月という熱狂のただ中で、福沢は「うっかり桜の花の咲いたのに見とれて、春風だなどと思っていると、それこそ大変、いつか秋風に変わっている。やがて骨を刺す厳冬が来る。冬の用意は夏のうちにしておかなければならない」と警告した。その慧眼には、感服せざるを得ない。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

桜の花の咲く頃には
頭の上から平和の光が輝く

 今年はもう平和後の経済界がどうなるか考えなければならぬと思う。いや、考えてなどしているうちには平和が来るだろう。平和の曙光はもう見えている。桜の花の咲く頃には、頭の上から平和の光が輝くことと思う。ぐずぐずしてはいられない。戦後の経済界はどうなるか、これが目前の大問題である。

 しかし戦後世界の経済界は果たしてどう成り行くか、その真実を言い得る者は神のみである。オーストリアの皇太子を狙撃した短銃の一発が、今日の大騒乱を開く火ぶたとなろうとは、誰一人考えなかったであろう。

「ダイヤモンド」1918年1月1日号「ダイヤモンド」1918年1月1日号

 いよいよ戦争となるや、1年後には講和が成ると言い、いや1年半を経過すればこの戦争はやむと前途観を述べた者もあったが、砲火の閃きは今日まで続いている。

 かくのごとく人間の目や頭では、未来のことに対する真実は見えない。われもまた人間の一人である。それ故戦後の経済観を述べるに当たって、それが真実であるとは断言することができない。自分の頭に宿った夢、それがここに述べようとする福沢桃介の戦後の経済観である。それが逆夢になるか、あるいは正夢になるか、それはわれ自身にも分からない。これだけのことはあらかじめ承知していただきたい。