「時間が足りない」。一日に何度、そうつぶやいているだろうか。タスクを書き出し、所要時間を見積もり、24時間の枠に詰め込もうとする。けれど、どれだけ工夫しても余裕は生まれない。その焦りは、忙しさのせいだけではない。私たちが時間をどう捉えているか、その見方にも原因があるのかもしれない。書籍『小さな実験』をもとに解説する。

私たちは時間を、終わりが決められた、均質で客観的な単位として扱っている。だからこそ、時間は決して十分ではないと感じてしまう。

カレンダーの1時間は、どれも同じに見える

スケジュール帳を開くと、一日は30分や1時間ごとのマス目で区切られている。私たちはそのマスに予定を一つずつ当てはめ、空いているところに次のタスクを押し込んでいく。

この見方では、朝の9時からの1時間も、夕方5時からの1時間も、同じ「1時間」として扱われる。足りなければ、どこかを削るか、もっと早く起きるしかない。

私たちは時間を、終わりが決められた、均質で客観的な単位として扱っている。
だからこそ、時間は決して十分ではないと感じてしまう。
(『予想だにしないほど人生が大きく動き出す 小さな実験』より)

時間を一定の量として数えるかぎり、私たちの関心は「どれだけ残っているか」に向かう。そして、残りが減っていくことばかりが気になり、いつまでも追い立てられる感覚から抜け出せない。

同じ1時間でも、中身はまったく違う

けれど、実際に過ごしている時間は、決して均一ではない。頭が冴えている朝の1時間なら、企画書の骨子が一気にまとまることもある。一方、昼食後のぼんやりした1時間では、同じ作業がほとんど進まない。

体感も違う。気の合う友人と話していると、2時間があっという間に過ぎる。気の進まない会議では、30分が果てしなく長く感じられる。時計の上では同じ長さでも、私たちが生きている時間の手触りは、場面ごとにまるで異なっている。

それなのに、時間を長さでしか測らないと、この違いが見えなくなる。集中できる貴重な時間を雑務で埋め、疲れきった時間に難しい仕事を押し込む。そして、思うように進まないのは時間が足りないせいだと考えてしまう。

時間の「量」ではなく「種類」に目を向ける

では、どうすればいいのか。ひとつの方法は、一日を時間の長さではなく、時間の種類で眺めてみることだ。

数日間、自分がどの時間帯に集中できて、どの時間帯に疲れやすいのかを観察してみる。考える仕事に向いた時間、人と話すのに向いた時間、手を動かす単純作業がはかどる時間。それぞれの時間に合った仕事を当てはめていけば、同じ一日でも進み具合は大きく変わってくる。

そして、ときには時間を数えないひとときを持ってみる。時計を見ずに散歩をする、終わりの時刻を決めずに本を読む。そうした時間は、効率の面からは無駄に見えるかもしれない。けれど、追い立てられる感覚から離れることで、時間に対する見方そのものが少しずつほぐれていく。

時間に追われない毎日を送るために必要なのは、もっと多くの時間をひねり出すことではない。自分がいま、どんな種類の時間を過ごしているのかに気づくことだけでいい。