東京五輪開催決定に
思わず涙がこぼれた理由
2020年の夏季オリンピック、パラリンピックの開催地が9月8日、東京に決まりました。
東京は、16年の五輪開催地にも立候補し、シカゴ、マドリード、リオ・デ・ジャネイロと並んで最終候補地の一つに選ばれながらも決選投票にも進めず、最終的には、リオ・デ・ジャネイロが選ばれるという苦杯をなめた経験を持つだけに、今回、56年ぶりとなる東京五輪の開催決定は多くの人に感動を与えました。
私は以前、個人的に16年の五輪とパラリンピックを日本に招致する市民運動(ムーブメント)である「Yes! Japan(イエス・ジャパン)」のお手伝いをしていたことがあります(第23回参照)。
09年10月2日の深夜、五輪招致支援組織「サポーターズクラブ」が開いた東京タワーでのパブリックビューイングイベントでは、2回目の投票で東京の落選が報じられると、あちらこちらから「信じられない」という悲痛な声が上がったことが今も忘れられません。
あれから4年。今回の招致活動にも前回一緒に悔しい思いをした多くの方々が関わっており、東京開催を勝ち取ることができたことには本当に感慨深い思いがあります。東京が選ばれた直後、IOC総会の開かれたブエノスアイレスにいた多くの仲間たちから、フェイスブックに喜びの投稿が続々と寄せられ、感極まって思わず涙を流してしまいました。
16年の招致失敗は、一説に都民の招致賛成への支持率が低かったことが影響したと言われています。12年5月に公表された、IOCによる20年五輪開催支持率調査では、東京は47%、マドリードは78%、イスタンブールは73%でした。
しかし、この支持率が同年夏のロンドン五輪での日本人選手の活躍と、それを称える50万人(日本オリンピック委員会発表)の観衆が詰めかけた凱旋パレードの影響などから、今年3月公表のIOC調査では70%まで上昇したことも、今回の招致レースの勝因の一つだと言われています。