少子化や大学乱立による入学志願者の減少、それに伴う経営難、国立大学の法人化、グローバル化……。挙げればきりがない数多くの問題を抱え、急速な変化を迫られているのが、現在の大学だ。本連載では、変わりゆく・変わらざるを得ない大学の「現在」を、関わる人々の姿や言葉とともに紹介していく。

今回はプロローグとして、文科省の施策の流れ、大学をめぐる「グローバリズム」とローカルな事情、さらに筆者が本連載を執筆する大きな動機づけともなった日本数学会「ジャーナリスト・イン・レジデンス(JIR)」プログラムについて、概略を紹介する。

大学の生態系は、そして大学をめぐる社会の生態系は、今、どうなっているのだろうか?

「生活保護ライター」が
なぜ大学について書くのか?

 この1年ほど、私は「生活保護ライター」と見られることが多い。ダイヤモンド・オンラインの読者諸兄姉は、特にそうであろう。東日本大震災以後、私が抱いていた、

「ビジネス媒体で、ビジネスパーソンに向けて、生活保護の話を書きたい」

 という悲願は、ダイヤモンド・オンラインで「生活保護のリアル」「生活保護のリアル・政策ウォッチ編」として形になり、書籍「生活保護リアル」にも結びついた。

 なぜ、その「生活保護ライター」が、大学に関する連載を開始するのか。背景と事情を説明しないわけにはいかないだろう。

大学はなぜ、変わらなくてはならないのか?<br />国立大学が少子化・法人化以外に抱える数々の問題筆者は物理学出身で、長らく計算機シミュレーションの研究開発に従事していた。未だに、ときどきはシミュレーションのプログラムを書いている。もちろん、数学や計算機科学への関心も失っていない。2013年9月には「いちばんやさしいアルゴリズムの本」(執筆協力:永島孝、技術評論社)を出版した

 2010年の私は、半導体に関するシミュレーションを研究しているはずの博士課程大学院生として、とある国立大学に籍を置いていた。入学してから4年目に突入していた。大学院入学と身体障害での障害認定がほぼ同時期だった私は、障害者福祉をめぐる諸般の事情により、結局、研究らしい研究はできないままで2011年に大学院を去ることになった。

 当時の私の中に積み上がっていた最大の不満は、研究に関することでも周囲の人間関係でもなかった。それは、

「なぜ、大学に関する報道って、科研費不正とノーベル賞ばかりなんだろう?」

 というものだった。「科研費不正とノーベル賞ばかり」はやや大げさだが、私は、

「不祥事と大成功にばかり、スポットライトが当たっている」

 と感じていたのだ。それらの報道を寄せ集めたものは、断じて大学の実像そのものではないし、大学の中で営まれている数多くの人間的な営みの反映でもない。生活保護においても、金額では0.5%程度にすぎない不正受給ばかりがクローズアップされやすく、「生活保護といえば不正受給」と語られがちな現状がある。どこか似ているように思える。。