しかし、始めの3~5年間はADとして下積みの時期である。その間は「戦力」とはまだ呼べないのかもしれない。

 この大手番組制作会社には、30代で60分の番組を1人で隅々までつくることができる「一本立ちしたディレクター」が、数人しかいない。そのリーダー格が内田だった。“エース”であった内田は、「三笠に自分の身が脅かされる」と考えたのだろう。

 三笠も、「いずれはエース」という期待を心得て入社した。早いうちに、番長気取りの内田に挨拶をしたり、ご機嫌を取ったりした。

 だが、受け入れられなかった。限りなく無視をされた。内田の息のかかった30代のディレクター数人も、簡単な挨拶をするくらいで、深く話し合うことはしない。その頃を、三笠はこう説明する。

「内田は、僕のことを“脅威”と思っていたみたい。あの男は、年齢は数歳上だけど、20代の頃はニューヨークの大学院にいた。実際に番組づくりの経験は、10年前後。みんなの前では、20年近くのキャリアがあると吹いていた。だけど、本当は僕とはキャリアは数年しか違わない。だからなのか、必死に押さえつけようとした」

脅威を覚えたおじさんたちによる
小学生レベルのいじめが始まった

 入社から1週間もすると、小学生レベルのいじめが始まった。たとえば、総務部から「入社の手続きの書類ができ上がったから、受け取りに来てほしい」と内線電話が入る。それを受けた内田は、三笠に伝えない。

 他の部員は“番長”に脅え、見て見ぬふりをする。30代だけでなく、20代のADたちもそれになびく。それ以外にも、三笠には情報が届かない。企画会議の段取り、部内の飲み会、打ち合わせなど……。内田が他のディレクターらを脅し、その大半が伝わらないようにしていた。