児童の遺族向け9回目報告会は6時間半に及んだ。わずかな休憩中に、メディアからの質問に答える紫桃隆洋さん(右)。5年生の次女を大川小で亡くした
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東日本大震災の大津波で児童74人、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校。当日の避難行動や事後対応などについて検証する事故検証委員会が、最終報告に向け、遺族たちと最終の詰めの作業に入っている。

19日の第9回検証委会合で公表された「最終報告案」を踏まえた遺族向けの報告会が26日、石巻市内で非公開にて開かれた。午前中には教職員の遺族15人ほど、午後には児童遺族30人ほどが集まった。

児童遺族らからは、生存教諭や校長の証言に矛盾点があることや、市教委の説明に不明確な点があることを記述してほしいという要望、大川小特有の問題からたどった分析をするべきだという意見が相次いだ。

核心に触れず、責任の所在もあいまい
「最終報告案」2つの事故原因から「一歩踏み込んで」

 今回の報告会は、検証委員会側からは、午前・午後を通じて室崎益輝委員長(神戸大学名誉教授)と、事務局を務める社会安全研究所が参加した。

 遺族によると、報告会では「もう一歩踏み込んで検証してほしい」とする要望が相次いだ。遺族の知りたい「なぜ?」の部分に応えられていない最終報告案に、検証を見守ってきた多くの遺族がもどかしさを感じているという。

 検証委員会は2013年2月の設置当初から、「遺族に寄り添う」「遺族の知りたいという思いに応える」ことを掲げてきた。だが、意見交換という形で遺族の指摘に耳を傾け始めたのは、11月の下旬になってからだった。

 実際には、意見交換が始まっても、検証委員たちと遺族の検証観に違いも見られ、遺族が重要性を指摘した部分が、検証委員たちから見れば優先順位が低いと受け止められる傾向も見られた。そんな置き去りにされてきた部分が、今の最終報告案の段階になって噴出したといえる。

 大川小事故検証委員会は、19日の最終報告案で事故の原因を「避難の意思決定の時機が遅かったこと」と「避難先として河川堤防に近い三角地帯を選択したこと」と結論づけたが、避難が遅れた理由等の事故の核心部分については、ほとんど踏み込んでいない。

「避難が遅れたことも、あのルートをたどった問題も、2年前からわかっていたこと。遺族が専門家に求めているのは、なぜ避難が遅れ、なぜあのルートをたどることになったのかを検証すること」

 この日の報告会でも、こうした意見を、複数の遺族が様々な表現で訴えた。