今週、新聞各紙は、麻生首相の「政局よりも政策」という言葉を報じて、ようやく自ら作り出した「早期解散論」「早期解散論」に終止符を打った。

 就任以来一貫して繰り返してきたこの首相の言葉は、なぜか、ずっと無視され続けてきた。代わりに、紙面にはただの一度も発したことのない「先送り」「見送り」といった見出しが躍り続けた。

 しかし、それも限界に来たようだ。昨日(10月28日)、最後まで「解散は近い」と粘っていた朝日新聞も、ついに選挙班を解散し、通常態勢に戻している。「先送り」という便利な言葉で、自らの誤報を糊塗してきた新聞などのメディアだったが、これですべて白旗を揚げたことになる。

 それにしても9月から続いてきたこの「解散騒動」とはいったい何だったのだろうか。

解散騒動が日本中に
及ぼした被害は甚大

 じつは、筆者の記事も含めて報道の「勝ち」「負け」など取るに足らないどうでもいいことである。問題は、なぜ2ヵ月近くもこうした「解散騒動」が続いたのか、ということに尽きる。

 背景には、「騒動」を許し続けた麻生首相の政権運営能力の低さと、情報・危機管理への甘い認識がある。そのおかげで、麻生政権は日本社会に大いなる損害を与えたのだ。

 今回の「解散騒動」によって、一部の衆議院議員や立候補予定者は、選挙事務所の設置や人件費などへの支出で、大いに損害を被ったとされる。実際、自民党幹部クラスの中にも、事務所を数箇所設置したため、電気、電話などの敷設を含めて、数千万円の損失を被った議員もいる。

 マスコミもまた、ある意味で被害者となった。朝日新聞のように「選挙班」を作り解散しただけならばまだましだ。テレビ局の中には、選挙特番の準備のために、すでにスポンサーを募り、スタジオを押さえ、キャスティングまで終えたところもあった。