作曲のノルマは月2曲だった。この「乙女心」(鹿山鶯村作詞)と「キャンプ小唄」(島田芳文作詞)である。「キャンプ小唄」の歌手をだれにするか、社内で議論になる。

「まだ上野の音楽学校在学中だが、最近、慶応幼稚舎の歌を吹き込んだ増永丈夫という男がいる。いい声だ、という情報が入って来た。会ってみると、きびきびした態度の青年だった。それが藤山一郎君である。まだ在学中なので本名を出してはまずいというので芸名を名乗ることにしたのだ。その藤山君に『キャンプ小唄』を、そして『乙女心』は結婚して旧姓秋山を改めたばかりの関種子さんに歌ってもらった。/昭和五年六月発売の「乙女心」、同七月発売の「キャンプ小唄」はともに好評で、宣伝もほとんどしないのによく売れた。これは会社のほうも少なからず驚いたようだ」(古賀政男、前掲書、1984)

 この「私の履歴書」に記載された発売年は誤りで、「キャンプ小唄」が1931(昭和6)年4月、「乙女心」は5月の発売だった(『コロムビア五十年史』『古賀政男音楽博物館・図録』による)。

 コロムビア3作目と4作目が有名な「酒は涙か溜息か」と「丘を越えて」である。藤山一郎の歌唱で前者は1931年10月、後者は12月に発売された。「酒は涙か溜息か」は100万枚を超えるメガヒット、「丘を越えて」も数十万枚の大ヒットである。つまり、31年4月から12月までの9ヵ月間で連続4曲のメガヒットを飛ばしたわけだから、空前の事態だった。

西洋7音階と東洋5音階の差を埋めるために

 古賀政男の初期作品は「演歌ではない」、と気づかせてくれたのは、ソプラノ歌手で音楽学者の藍川由美さんの著書『「演歌」のススメ』(文春新書、2002)である。

 藍川さんは楽譜と「古賀政男自作自演集」の演奏がピタリと合い、コブシなどの日本的な節回しがすべて楽譜に書きこまれ、古賀自身が楽譜どおりに歌っていることに気づく。藍川さんの分析は次回に紹介するが、1931年に発売された作品は、まずは今日の演歌とは違うことだけ留意しておこう。初期作品について藍川さんはこう述べている。

「(略)初期の作品に『コブシ」を多用した歌が少ないことに気付かされる。初期のヒット曲≪影を慕いて≫≪酒は涙か溜息か≫≪丘を越えて≫は、いずれもヨナ抜き音階で作曲されているものの、決して日本的な節回しとはいえない」(藍川由美、前掲書、2002)

「酒は涙か溜息か」は、現在にいたるまで多くの演歌歌手がカバーしている。筆者は、アドリブのコブシをきかせ、音程を適当にポルタメントして変化させる演歌の唱法が耳についていて敬遠していた。しかし、原曲の藤山一郎による歌唱はたしかに楽譜の音程とリズムどおりであり、フレージングも小節線に正確である。古賀政男の意図どおりなのだろう。