田中さんの言葉を借りながら、わかりやすく説明しよう。批評は英語で言うとクリティック。クリティックは文字通り、クリティカルでなくてはいけない。

 クリティカルには、危機的、致命的という意味がある。では、何を危機的で致命的にするのかと言えば、自分が立っている足場そのもの、あるいは世界観。批評とはつまり、自らを含む世界を吟味し、宙づりにし、検証していく作業だと言える。

 これに対し、批判とは自分の立っている足場は不問にし、自分自身を安全圏に置いたまま、一方的に相手のマイナスや欠点を突いたり、否定したり、注意したりする行為を指す。自分自身がよって立つ文化や価値観、考え方、社会を構成している枠組みそのものをひたすら問い直そうとする批評とは、そこが大きく違う。

「平たく言うと、批評とはつまり常識を疑うってことにもなりますね」

「まあ、そういうことです」

世に大きな影響を与えたルソー『社会契約論』
初版部数はわずか○○冊だった!?

 常識を疑うためにはまず、常識を知らなくてはならない。自らの立つ足場を正確に把握していなければ、それを崩したり、ひっくり返すことはできないからだ。

 文学を批評したければ文学を読み、演劇を批評したければ演劇を観る。これが、批評家として最低限のマナーである。

 もちろん、それだけでは不十分だ。

「どんなにたくさん本を読んでも、それだけだと流れていっちゃいますよね。僕も中高校生の頃から暇があれば本を読んでいましたし、電車の中でもずっと本を読んでいます。でも、それってイチローが毎日素振りをするのと同じなんですよ。なんていうかこう、基本姿勢みたいなもので。もちろん必要なんですけれど、それだけで批評ができるようになるかというと、そうではない」

 Amazonにレビューを書くのと、批評は違う。田中さんに言わせると、レビューとは「判断」する行為だそう。

「わかりやすく言えば、『おすぎ的佇まい』とでも言いましょうか……」

「おすぎ的???」

「(両手を前に組んで)『私、これ好き!』『これは嫌い!』みたいな」

「あのー、つまり、好みの表明ってことでしょうか?」

「そうですね。でも、それはそれで大事なんですよ。心から好き・嫌いを言う人の声を聞くことも」

 そもそも論から言えば、「批評というのはある種、人々のイマジネーションを変える力を持つものだと思っています」と、田中さんは言う。