小国川漁協は約1000人もの組合員を抱えていた。大勢のメンバーを束ねていたのが、沼沢勝善・前組合長だった。川や魚などについて豊富な知識を誇り、人望も厚かった。そして、何よりも豊かな自然環境を後世に引き継ぐとの強い使命感の持ち主だった。任期3年の組合長に6期続けて就任し、漁協イコール沼沢組合長と言われるほどの存在だった。

代替案を提案し続ける小国川漁協
委員会を支配するダム推進派の壁

 そんな沼沢・前組合長は、「何が何でもダムはだめだ」という人でもなかったという。ダムによる治水しかあり得ないのならば、ダムも致し方ない。しかし、ダムによらない治水が可能ならば、ダムに反対するという考え方を持っていた。実際、そうした姿勢で県が開く委員会などに参加し、流域に精通する地元漁協の代表として代替案を提案していた。

 赤倉温泉での水害は、河床に砂礫が溜まって川底が高くなっていることが要因だと訴え、河道改修を求めたのである。赤倉温泉での水害は「内水被害」であり、ダムでは防げないと本質をズバリと指摘したのである。

 しかし、他の参加者のほとんどが県のお眼鏡にかなった「何が何でもダム推進」の人たちで、沼沢・前組合長の代替案は一顧だにされなかった。

「ダム推進論者に囲まれた会議や説明会の場で、沼沢さんは1人理路整然とダムによらない治水案を訴えていました。多勢に無勢で、どんなに野次られても怯みませんでした」

 こう振り返るのは、沼沢・前組合長と十数年来の付き合いだったという草島進一・山形県議(無所属)。「最上小国川の清流を守る会」の共同代表で、ダムの建設反対に沼沢・前組合長と共に奔走してきた人物だ。

 沼沢・前組合長は県の「ダムありき」の議論に驚き呆れ、流域委員会からの途中離脱に踏み切らざるを得なくなった。以来、小国川漁協が県との治水に関する協議の場につくことはなかった。

 その後政権交代が起き、全国的にダム事業の検証が実施されることになった。山形県も最上小国川ダムを俎上に上げ、「有識者」などによる検討を始めた。その人選は県が行い、県のお眼鏡にかなった「有識者」が勢ぞろいした。議論の中身はともかく、検証のための手続きだけはきちんと踏まれていったのである。