領土問題や歴史認識問題の影響で、かつてなく冷え込む日中・日韓関係。政治・外交上の思惑が複雑に絡み合う現状では、関係改善に向けてすぐに大きな進展は望めそうにない。我々日本人は、膠着状態にある彼らとの関係をどこへ導いていけばいいのか。前回に引き続き、村山富市元総理大臣にアジア外交の要諦を語ってもらった。インタビューの内容は、日本の安全保障と集団的自衛権の考え方、村山内閣や旧日本社会党の自己評価にまで及ぶ、興味深いものとなった。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 編集長・原英次郎、小尾拓也、片田江康男、撮影/宇佐見利明)

いくら「扉はオープンだ」と言われても
訪ねて来る気にならないとしょうがない

――前回は、日中・日韓間に横たわる本質的な課題についてお話を聞きました。ではその課題を踏まえて、今後日本は中国・韓国との関係をどういう方向へ導いていったらいいのか、お考えを詳しく聞かせてください。

前回聞いた戦後の総括の話にも通じますが、やはり日本は前後補償の議論が不十分だった感がありますね。たとえばドイツの場合は、ナチスの被害者などに国家が個人補償をしていますから。日本は米国の意向が強く反映された占領政策の影響もあり、総括の仕方も違ってきてしまったのですね。

むらやま・とみいち
社会民主党名誉党首。1924年生まれ。大分県出身。旧制明治大学専門部政治経済科卒。1955年より大分市議会議員(2期)、大分県議会議員(3期)を務め、1972年第33回衆議院議員総選挙に日本社会党から立候補し、初当選。以後通算8回当選。社会党では国会対策委員長、党委員長を歴任。1994年自民党、新党さきがけとの連立内閣で第81代内閣総理大臣に就任。現状では、大正時代生まれとなる最後の首相経験者。総理退任後も社会民主党党首(初代)、社会民主党特別代表(初代)、「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」理事長などを歴任。政界引退は2000年、同年桐花大綬章を受章。

 そうですね。ドイツは政府と企業がお金を出し合い、基金をつくって強制労働の被害者らに対してきちんと補償をしています。当時だからこそ、ドイツにとってわずかな補償金で済んだ。今改めてやろうとしたら、当時の金額じゃ済まないですよ。その意味では、日本は戦後の国際情勢の変化による占領政策の変化もあって、被害を与えた国に対する対応の違いが出て来たんだと思います。

―では今後、アジア諸国、特に中国と韓国との関係を、どうしたら改善して行けるのか。領土問題や靖国問題が噴出して、結局歴史認識問題という原点の部分にまで議論が及んでしまった以上、これまでよりも関係改善への道のりは険しいように思えますが。

 政府、とりわけ安倍総理の姿勢が変わらないと、このままじゃどうにもならない。「いつでも扉はオープンだ」と言われても、向こうが訪ねてくる気持ちにならなければ、しょうがないでしょう。むしろそういうことを言うだけでは、向こうは「何を言ってるんだ」と逆になってしまうのではないか。だから、どこかで関係改善への糸口をつくらなければいけません。