「戦後の集団的自衛権は、ソ連のハンガリーやチェコへの侵攻とか、アメリカのベトナム戦争などの大義として使われた。ある意味では非常にあいまいなもので、濫用されやすい概念です」

集団的自衛権については、どのような限定がつくにしろ、安倍政権が行使容認で閣議決定に持ち込みそうだ。野党も立ち位置がバラバラで、有力な対抗軸を打ち出せていない。最大野党の民主党もまた然りである。そこで民主党の最高顧問であり、民主党政権時代には外務大臣を務め、外交や安全保障にも知見の深い岡田克也衆議院議員に、集団的自衛権に対する考えを聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原 英次郎、小尾拓也 撮影/宇佐見利明)

必要性と憲法との関係
二つの視点で検討する必要

――最初に、集団的自衛権の行使容認に、賛成か、反対かをお聞かせください。

 私としては、まだ結論は出していません。この問題は大きく二つの視点で議論しなければいけない。

 一つは必要性の視点です。さらに必要性を論じる場合、その前提になる日本の安全保障環境がどう変わったか。例えば、集団的自衛権を認めることで、日米同盟がどう強化されるのか、しないのか。もう一つの視点は憲法との関係です。つまり、憲法の「平和主義」という枠の中で議論しているのか、それから逸脱する話なのか。やはり、平和主義は憲法の重要な柱ですから、集団的自衛権が「必要だから」といって、そういうものを全部すっ飛ばしても認められるという話ではありません。

 これまでは、どちらかに非常に偏った議論が行われてきたと思うんです。「必要なのになぜ認められないんだ」とか、「権利として持っているのに、行使できないのはおかしい」とか。他方、現実を無視した「何が何でも憲法の平和主義を守り通せ」みたいな議論がある。いずれからも少し距離を置いて考えなくてはいけないというのが、私の基本的スタンスです。

 まず、私は「全面的」に集団的自衛権を認めるというのであれば、憲法改正を行うべきだという立場です。恐らく安倍さんとか石破さん(自民党幹事長)は、本当は全面的に認めたいというのが基本的な考え方だと思いますが、私はそういう考え方は取らない。日本国憲法の下にある以上、全面的に認めるのであれば憲法改正が必要でしょう。では、共産党や社民党のように全く認めないのかというと、本当に必要性があるのであれば、それは憲法の大枠と矛盾しない範囲で、認めることもあるべきだと思います。