メトラン社長 トラン・ゴック・フック(新田一福)(撮影:和田佳久) |
メトランの社長、トラン・ゴック・フックが留学生として来日したのは1968年。祖国ベトナムが最も激しい戦火に見舞われた年だった。
父は、いくつもの会社やホテルを経営する実業家。「どら息子で、将来のことはあまり考えていなかった」と笑う。とはいえ夢はあった。公害問題に悩む日本を見て、「故郷に帰ったら会社を興し、ヤシ油を原料にした環境負荷の小さい洗剤を作りたい」と考えていた。ゆえに化学を専攻し、卒業後はメーカーで研究を続けるつもりだった。
ところが、卒業時はオイルショックの真っただ中。研修生を受け入れる余裕のある洗剤メーカーなどなくなってしまう。指導教官に相談し、紹介されたのは医療機器メーカーだった。なんの知識もなかったが、「おもしろそうだ」と飛び込んだ。
配属は製造部門だった。「職人さんにいちばん嫌われるタイプ。家は裕福だし理屈はこねるし、“体で覚えろ”なんて言われても、こちらは早く技術を覚えて国に帰りたいと思っている。今振り返れば楽しかったが、当時はそれはもう大変だった」。続けられたのは、「どんどんぶつかって、言いたいことは言う」積極的な性格ゆえである。
研修先の創業者は、「ベトナムに帰ったらゼロからなんでも作れるように」と、金属加工を修業させた。本人も熱中し、廃材を利用して設備を改良、パート職員に大人気となったりもした。このとき身につけた技術は、後に大いに役立つこととなる。