撤退計画の第一歩を踏み出すには、大義名分が必要である。企業が撤退すれば、地元の税収にも雇用にも影響する。基本的に撤退を承諾したがらない地方政府に、いかにしてそれを認めさせるかだ。

 それには「現地法人を存続させる」という前提が必要だ。そこで有効なシナリオは、「A氏は現地法人の董事長を退任するが、後継者がいる、すなわち現地法人はなくならない」という絵図を描くのが理想となる。しかも、退任理由はA社長個人の「体調を壊したので日本で入院する」。これなら地元政府も文句は言えまい。

 A社長はまずは関係当局に出向き、「体調を壊しこれ以上事業が継続できない」と訴え、「自分は退任するが、新しい社長がいる」と伝えた。A社長にとっては事実上の撤退だが、地元政府にとっては“代表者の交代”だと理解させたのだ。しかし、水面下でA社長は、中国人新社長と“工場売却の密約”を取り交わしていた。

 他方、新社長はこれまでとは異なる新事業を立ち上げるため、社名変更と営業許可証の申請が必要となった。この営業許可証の取得は難儀で、たいてい書類はたらい回しにされ時間ばかりが過ぎて行く。これがうまく行かないと、A社長の計画も水泡に帰す。だが、これもA社長の“友人”が裏で手を回し、ものの数時間で許可が下りた。

Xデー目指し一気呵成に決行
「今日から新しい董事長になるCさんです」

「撤退決行Xデー」は5月5日に決めていた。もともと中国では3日間の連休だったが、従業員には連続して6日の長期休暇を与えた。その間、A社長は工場の機材や私物を運び出した。手助けしてくれたのは、地元の“威勢のいいお兄ちゃん”たちだった。彼らはこの休日中に40トントラックを運転し、5人の人足とともに工場にやってきた。

 設備や機械などは分解し、これをトラックに搭載した。エアコンなどの室外機も近所から専門業者を探し出し解体させた。金属なども溶接機で切って鉄くずにし、十把一絡げで投げ売りしたが、それでも手元に100万円が残った。5月4日にはこの工場はすっかり「もぬけの殻」状態になっていた。

 翌日、何も知らされていない従業員はいつも通り出社した。だが、なぜか工場にはカギがかかっている。案の定、「どうしたんだ!どうしたんだ!」と大騒ぎになった。