ただし、ここでいう「鈍感」が意味するのは、評価結果を軽視するということではありません。結果ではなくプロセス、つまり、「なぜ、そのような結果になったのか」ということに目を向けてほしいのです。

評価結果そのものには価値がない

 評価結果そのものには価値がありません。「評価に一喜一憂する価値はなし」なのです。価値がないものに悩んでいてもしかたありません。価値がないものに不満を爆発させて、心をストレスで満たす必要はありません。

 ただし、その一方で、他者からのアドバイスに耳を傾ける心は持たなければなりません。評価結果のフィードバックとして指摘されたことは素直に受け入れ、次の評価では改善したことを評価されるように努力しなければならないからです。逆にフィードバックを受けても努力できない自分がいたとしたら、評価が低くても納得するしかないということです。

 もし、「評価が間違っているのであって、私に改善しなければならないところなどない」という傲慢な人が、評価結果にストレスを感じたとしてもそれは自業自得です。どんなレベルの人であっても完璧ではなく、常に向上しなければならない箇所は必ずあるものです。

 仮に、あなたの上司が面倒見の悪いタイプであっても、自ら請うてフィードバックを受け、具体的なアドバイスを受けるようにしましょう。多少なりとも心ある人であれば、それだけでもあなたに対する評価が変わるというものです。それに、自分のフィードバック通りに改善されたら、上司も次は評価を引き上げざるを得ないでしょう。

あえて組織の歯車となることが成長への近道となる

 私は常々、あえて組織の歯車となることの重要性について語っていますが、なかなか受け入れてもらいにくいメッセージのようです。私たちに刷り込まれた感覚として、歯車ではなく“考える”社員のほうが優秀だと思ってしまう傾向があるからです。ちなみに、私は歯車社員とは「与えられた業務を着実にこなしたり、教えられる知識を素直に吸収したりすることで、与えられた役割を忠実に果たす社員」と定義しています。

 個の社員としては、考える社員は確かに優秀ですが、組織を運営することを前提にすると、考える社員だけでは足りません。“考える前に従う”歯車に徹することのできる社員のほうが組織にとってはありがたいことも多いのです。

 しかし、評価制度は、歯車社員を高く評価するような仕組みにはなっていません。ましてや「歯車力」などという評価項目もありません。歯車社員は上司から「えこひいき」されない限り、高い評価を得るのは難しいかもしれません。そのため、「組織に貢献している割には評価されない……」と不満に感じる人がいてもおかしくありません。