民主主義の3要素は
各国家間で共有されるべき
現在、スモッグに覆われた北京の一角でこの原稿を書いている。
『中国民主化研究』を執筆しながら、時に思うことがある。
歴史上、中国が“民主化”を達成したことはかつてない。言うまでもなく、ここで言及する“民主化”とは西側諸国を中心に多くの地域・国家が紆余曲折を経ながら実現してきた、自由民主主義という価値観に立脚した政治体制を指す。
この話を中国の有識者にすると、往々にして「西側の民主主義だけがすべてではない。世界にはいろんな民主主義がある。日本や北欧の民主主義だって、米国の民主主義とは異なるではないか」といった類の反論が返ってくる。
ナショナリズムのなせる技なのだろうか。
確かに世の中にはさまざまな民主主義のカタチがあっていいだろう。それぞれの地域にはそれぞれの歴史があり、それぞれの国家にはそれぞれの国情がある。十人十色の状態こそ健全なのだと私も思う。多様性を尊重する文化は地球レベルで育んでいかなければならない。
しかしながら、“人類社会と普遍的価値観”という観点からすれば、ボトムラインとしての要素は各地域、各国家で共有されるべきではなかろうか。さもなければ、議論にならないし、目標も共有できない。
①公正な選挙、②司法の独立、③言論の自由、この3要素が制度的に保証されていることがボトムラインだ。
民主主義にも色々あっていい。しかし、この3要素が保証されていない国家・社会はお世辞にも“民主的”とは言えない。
民主主義とて万能薬ではないし、発展の過程で挫折も後退もする。だからこそ、各地域・各国家はこの3要素を徹底し、実践していく過程において、民主主義を充実させる努力を怠るべきではない。米国も、日本も、北欧も、である。特に、民主主義の普及と確立が比較的に遅れている東アジアにおいては、地域内国家間で民主主義をめぐる議論を促進し、問題点を適宜改善していく姿勢が求められる。