桂文枝、明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナイン……テレビで吉本の芸人・タレントを目にしない日はありません。自称「吉本で一番おもろない男」であり、林裕章・前会長いわく「吉本で一番お笑いの好きな男」でもある吉野伊佐男会長が、今年7月に著書『情と笑いの仕事論』を出版。吉本興業が急成長した半世紀にわたる歴史を振り返りながら、本書に込めた仕事人としての思いや、吉本興業の未来について聞きました。(構成/書籍オンライン編集部)
誰もやらないからやってただけ。
得意分野は周りが決めてくれる
――著書『情と笑いの仕事論』は、2012年に100周年を迎えた吉本興業と、1965年に入社された吉野伊佐男会長の、まさに“半生記”ですね。
吉本興業株式会社代表取締役会長。1942年大阪府東大阪市生まれ。関西大学を卒業後、65年に吉本興業入社。入社時の配属先は総務部。その後、制作部に異動し、86年より営業部CM企画課長として数々のヒットCMをプロデュースし、売上げの新たな柱を確立する。87年広報室長、94年セールスプロモーション部チーフプロデューサー、2001年取締役、05年代表取締役社長を歴任し、09年4月より現職。ストレス解消法は「劇場に行って笑うこと」。高校野球から大リーグまで、大の野球好き。
吉本興業は戦前こそ「松竹・東宝・吉本」と並び称されていたものの、僕が入社したときは大阪の一興行会社になってしまっていて、今の勢いなど見る影もなかったんです。辛うじて京都と大阪に3館の劇場を持ってはいましたが、自前で抱えてる芸人やタレントなんてほとんどいなくて、経営的に大変厳しい時でした。
でも、そこからテレビという強みを得て、1960~70年代に大きく盛り返しました。私は会社の中心にいたわけじゃないんですけど、約50年間のいろんな場面の出来事を今回の本にまとめてみたら、テレビや演芸というのか興行の歴史の一端みたいにもなりました。
本当は100周年の2012年に出すつもりが、周年記念事業やら、桂文枝さんの6代目襲名もあって、この時期にずれ込んでしまいました。
――本の帯やHPの宣伝では「すぐ辞めそうな部下に読ませたい」と謳われてましたよね。でも中身を読むと、吉野会長は入社直後こそ辞めたいと思っていらしたものの、その後は仕事をすごく楽しんでおられる様子がうかがえましたが。
入ったときは、もう、すぐにでも辞めたかったんです。給料も安かったし(笑)。最初の配属先が総務部株式課というとこで、自社株の台帳に名義の書き換えを記録したり、配当金を送る手配をしてまして。仕事はこなしつつも、毎日総務部長に異動したいと言いに行ってました。嫌がらせですよ(笑)。うちのような会社でも経理を目指して入ってきた人もいたんで失礼な話やなとは思いますが、若かったし、もっと直接稼ぐ仕事を任せてくれ、と思ってたんですな。
その後も経理に行かされたし、なかなか希望はかなえられなかった。やりがいなんて、あるわけないでしょ(笑)。
でも今になって、あの頃があったお陰で全社を見渡せるようになったんかなあ、と思います。会社の考え方や仕組み、お金の流れについて大きな責任を負わされることなく若いうちから見てたんで、表向きは楽しい華やかな世界でも、裏にはお金のやりくりのしんどさや地味な裏方仕事があって回ってるんや、と知った。その後働いてきた約50年のベースがある気がします。
辛抱しながら真面目に勤めていると小さくても楽しさを自分で見出せるし、そういう仕事ぶりを認めてくれる人たちも出てくるし。そうそう捨てたもんじゃないよ、というのが、本で言いたかったことです。でも、それには“石の上にも「3年」”ぐらいでは短いんと違うかなあと思いますね。