レイ・クロック
 クロックが偶然訪れたレストランの名前はマクドナルド・フェーマスハンバーガーズ。このときから、世界的な飲食革命が始まった。彼は、その店のオーナー・マクドナルド兄弟と取引をして、フランチャイズチェーンの構築に乗り出す。1961年には、この兄弟の所有している株式を270万ドルという有利な価格で買い取った。

 同社は1965年に株式を公開する。1970年代には、クロックが投資した210万ドルは5億ドルにまで膨らんでいた。1984年にクロックが他界するころには、マクドナルドのゴールデンアーチは、世界中いたるところで、手軽で安いファーストフードのシンボルとして知られるようになっていた。

成功への階段

 レイモンド・A・クロックは1902年10月5日、イリノイ州オークパークで生まれた。その人生は大きく2つの時期、マクドナルド以前と、それ以後、に分けられる。マクドナルド以前、クロックはさまざまな仕事を経験したあと、最後にはミルクセーキ用ミキサーの販売の仕事についている。

 15歳のとき、赤十字の救急車の運転手として第1次世界大戦に加わろうとし、そのために年齢を偽った。ところがヨーロッパ行きどころか、行ったところはコネティカット州どまりだった。大戦が終結したときはまだ訓練が終わっていなかった。

 戦争のあてがはずれ、クロックは仕事を探した。食べるためにピアノ弾きのアルバイトをしたこともある。1922年、リリーチューリップカップ社の紙コップを販売する仕事につく。クロックは販売に長けており、ビジネスに対する目も確かだった。

 あるとき顧客の1人でプリンス・マルチミキサーズ社のオーナー、アール・プリンスから本人が発明した5軸式のミキサーを見せられ、クロックは勤め先を変える。そのミキサーをアメリカ全土で販売できるという契約を結び、それ以後の17年間、まさにこの仕事に専念した。つまり、52歳になるまでクロックが取り組んだ仕事の大部分はミキサーの販売だった。

 老後の蓄えの心配もなくなり、その年代の男性と同じように、引退を考え始めていた。そこに、1954年運命の日がやって来る。それはサンバーナディーノにあるマクドナルド兄弟が経営していた小さなハンバーガーレストランに入ったときのことだった。